勝手に言いたい放題

ももえ

前号の文章から、私が感じたこと。「弱いものは守られるべき」の「弱い」って何だろう?もちろん弱い立場、例えば子供や病人に優しいまなざしは必要だと思う。しかし女性や摂食障害者は本当に弱いんだろうか?男性に一方的に守られるべき存在なんだろうか…こんなことをふと考えさせられた…られる。
少なくとも今の私は、自分のことを、「弱い」から摂食障害になったとは思っていない。むしろ弱々しさを子に入れるための手段として、摂食障害があったとは思う。それは、無意識にもしかしたら自分はいわゆる世間一般でいう「強い女」「力を持つ女」の一人かもしれないという恐怖、理不尽さを感じとっていたから。……だって、どう考えたって「か弱い方が絶対的に得してる!」と思ったもん……。
でかい体、できる力、その結果「ももえは大丈夫」と言われること……「ぜんぜん大丈夫じゃないよ」
「私だって可愛がられたいよ」そんな怒りややるせなさでいっぱいだったあの頃。今だって大声で泣きたくなるごとがある。そんなことは私には似合わない…と、つい突っ張ってしまう私。誰か甘えさせて、可愛がって、と思いつつ。
だけど私、そんなに男の人に一方的に守ってもらいたいって思ってきたかっていうと、そんなことないね。むしろそこら辺の男を頼るぐらいだったら、
「自分の中の男」の方がよっぽど?ううん、一番、確実に頼りになるよ。ましてやはっきり言って摂食障害の男なんて!頼られることがあっても、頼ることなんて全くないね。まあ、この私に対して「頼れ」なんて言う男はそれこそ皆無。万が一そんなこと言ってくれたとしても「勘違いしてんじゃない?まずは自分の面倒見ろょっ」ていう感じかな。これが偏見と差別っていうことだったら、私自身認めます。

しかしどうして、時々こんなにも摂食の男らにイライラするのか?多分、私の中のメメしい部分を見せつけられるようなところにあるのかな?
ところで男性が強いって、確かに生物学的には体力とか、事実そう言える?
だけど何をもって強いっていうんだろう?むしろ弱いからこそ強さを誇示する…そのカの確認のために弱い女の子が必要になるって考えられない?
そんなんだから女側が自己表現・実現しようとすると、理論・筋肉・経済力等でねじふせようとしたり、また可愛い女を求める一方で、母親をも求めてくるんでは?もちろんね、ほんとにほんとに女性特有の傷つきつであって、男性側の配慮や理解、学習を求めている私がいるのも事実だけど。でもそれは一方的に弱い女を守る、保護してあげるっていうのとは遣うよ。私たち女性は女性で力を持つことを恐れず、自分たちのことを自分たちのために考え、声を出していくことが必要で、男も男たちで、女に「~してあげる」っていうんじゃなくて、自分たちの生や性について深いところで本気で見つめ、本音で語ってほしいと望む私がいる。
せっかく摂食障害になって、そこで出会った女と男だもん。私たち仲間に限らず、対立でも、変に仲良しこよしするんでもなく、対等な位置で、対等な関係を考え直してみたいな。その上で私も「甘え上手」になりたいわなあ。

【ニューズ・レターNo.30:一九九八年 六月】

男性は分けて!

匿名希望さん

一通めの手紙

基本的に男性といっしょのミーティングは、男の人には知られたくない部分を言い表すことができないので、原則的に分けて欲しいと切に望みます。また、性も心身も遣いがあるので、お互いの回復へのステップの大きな妨げになっている現実を、よく考慮してほしいと思います。

回復を目指して来ているのに、そのことで、ミーティングに行けなくなって、信頼が芽生え始めていた女性どうしの信頼と励ましの紳が、そこへ男性が入ってくることによって、信頼と励ましの土台の上に成り立ちつつある回復が、最初の状態よりひどい状態になってしまうことです。
こういうことは、男性の側からは理解できない現実であり事実です。

男性は男性だけのミーティングに分けて、これからのことを考えていただけないでしょうか。

 

ニ通めの手紙

私はNABAメンバーです。今、大変困っています。とても苦しんでいます。ある問題で。そこで質問なのですが、NABAでは、ミーティングに男性が参加することを推奨しているのですか?最近、ある男性が私たちのミーティングに突然、姿を見せてかなり混乱を起こしています。彼の存在は、私の他にもメンバーに少なからぬ不安を生じさせました。男性のみのミーティングがきちんと聞かれているのに普段のミーティングに来られては、私たちの回復の妨げになります。非常に困っています。
これでは、何のためにNABAに来ているのかわからなくなります。男性が出席した日のミーティングの後で、私の他に男性依存の問題をかかえているメンバーに電話をして、その日のミーティングをどんなふうに感じたか、意見を聞いてみました。
私自身は、その日男性が出席していたことに当惑を強く感じ取っていたのに、そうではない意見もありましたが、その時ふと、私は、彼女たちはもともと男性の世話、ばかりやいてきた女性なのだと気づいたのです。「彼が他に助けを得られる場所がないなら、入れてあげましょう」初め幾人かの彼女たちはそう言いました。そこで私は質問を変えてもみました。
「グループに男性がいても、いつもと同じように素直になることができ、快適に感じることができますか?」
ほとんどの答えが「ノー」でした。この事実が、私たちがいかに自分の要求よりも他人の(とくに男性の)要求を優先させているか、NABAのスタッフの皆様もおわかりでしょう。はっきり言います。女性のミーティングに男性のメンバーは入れないで下さい。
今回は、NABAのスタッフの皆様に、「男性が会合に参加する」という問題について、理解し、考えなおしていただきたく、手紙を書きました。
どうか、私たちは苦しんでいます。苦しんでいます。
スタッフの話し合いの場所で、この問題を取りあげて、前向きに検討して下さい。
この手紙を単なる一通の手紙として処理しないで、真剣に受けとめて下さることを願いつつ、ぺンを置きます。どうぞよろしくお願いいたします。匿名希望より。

(文中傍点も、本人のまま)
【ニューズ・レターNo.30:一九九八年 五月]

NABAへのお願い

ある摂食障害者の自助グループ

平成一O年七月八日
NABA運営委員会の皆様へ
梅雨明けも近くなり、連日うだるような暑さが続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、先日お電話でもお話ししましたが、現在私たちはNABAからお借りしたノート(※)を使わせていただいて、ミーティングを行っています。最近になりまして、足を運ぶ仲間が増え、ノートの数が足りない状況となっています。NABAに入会している仲間は自分のノートを持ってきていますが、入会していない仲間が多いため、ノートを数人で見るというのが現状です。そのことで話し合った結果、独自のノートを作り、メンバー全員に渡してはどうかということになりました。
そこで、ノートを作るにあたりまして、NABAノーから文章、ステyプなどを使わせていただきたいと考えております。
つきましては、運営委員会で議題として、私たちのグループにNABAノートの文章などを使わせていただけるか検討していただきたいと思います。お手数をおかけしますが、宜しくお願い致します。
運営委員会の当日には、メンバーが行く予定となっておりますので、その時に改めてお話したいと思います。
まずは流儀ながら書中にてご依頼まで。

トモ&トモコ

NABAからの返答

前記のようなお手紙が、ある摂食障害者の自助グループからNABAに届きました。早速、七月一四日のNABA運営委員会で、「NABAノー卜にならって、独自のノートを作りたい」という要望について話し合いの場を持つことになりました。当日は、前記のグループのメンバーのトモちゃんとトモコちゃんも駆けつけてくれました。

実はそれ以前に、NABAノートの文章を、無断で使われていたということがあり、話題になっているところでした。具体的にお伝えすると、援助者(この場合は心理士)の方が中心になっている、ある(自助)グループから、そのグループやミーティングの紹介のチラシが届いたのです。そのチラシは、「NABAとは……」の説明や、「NABAでの回復とは……」の文を、NABAの名前の箇所が、そのグループ名に入れ替えただけで掲載されていました。文章には、その援助者の方のお名前で「これから頑張っていきますので、よろしく」と言った挨拶文もありました。それを見た私たちは、「使うなら使うで、何か一言、前もって言ってほしかった。仲間だったらともかく、援助者が……」との感想を持ちました。時聞は少したちましたが、そのグループの方に、率直に自分たちの意見を伝えようということになりました。ただ、「では伝えるって何を?」というところで運営委員会の場で話し合おうということになったのです。

今後、こうしたことにどう対応していきたいか?ここではとりあえず、どのような返事をするかを話し合って出た案をお伝えします。

一、あくまでもNABAノー卜のまま利用してもらい、NABAという名前のところは、そのつど各グループ名で読み替えてもらう。
二、文章も含めて、全般的に、そのグループ独自の物を作ってもらう。
三、NABAの名前のところを各グループ名に替えてもらってよいが、文章の最後にでも、一言「NABAから」といった文を添えてもらう。

ちなみにこれまでは各地域でNABAの活動に賛同して、摂食障害本人の自助ミーティングを開いているところには希望があった場合、ミーティング用として、NABAノート三冊をお渡ししています。
他に、NABAの財政難を苦慮している方から、NABAノートに値段をつけて各グループに買ってもらうという案も出されましたが、やっぱりNABAノートは会員にとって大切な物だから、売り物のような形にするのは止めようということになりました。
NABAノート自体や文章は、その時々のメンバーたちで考えて作った物ですが、作る際に、私たちもたくさんのグループから言葉をお借りしたり、寄せ集めたりしたこともなかったとは言えません。またノート内には、精神科医・斎藤学氏による回復や成長に向かうための文章も載せているのが事実です。それでもやはり自分たちのカで、作りまとめた物です。そうした物が他で使われたり、望まれるのは、とても誇りであり嬉しいことです。本来、けちくさいこと言つてないで、どうぞどうぞと言いたいところもあります。ただ、何のご連絡もなく、使用されるのには、やはり抵抗があります。
今回は、これも結論が出ていないまま、とりあえず現状のみお伝えして終わりにします。何か良い案がある方は、どうぞ教えて下さい。お知らせ下さい。

(文責・桃江)
【二ユーズレターNo.31:一九九八年 七月】

※NABAノート…NABAメンバーたちが独自で作り使用してきたノートで、メンバーのみに配られ、ミーティング時に使用することを主な目的とした非売品のパインター式ノート。

医療関係者にもの申す

やどかりメンバー やよ

青梅市のある老人病院では、患者第一、患者はお客様という趣旨を徹底させるため、「患者様」と呼ぶようにしているそうです。どう呼ぶか呼ばれるかということはどうでもいいことですが、患者をお客様であると認識することについては、ようやくそういう医療機関が現れてきたかと嬉しく思います。
ある日曜日、娘Mが、吐けなくて苦しい、医者に行きたいと言うので、どこに連れて行っていいかを一一九番にかけて状態を話し尋ねました。そして教えられた休日診療をしている病院(生協系)に行きました。当日当番病院として診療中のところですから、閉めているところをたたき起こしたわけではありません。ところが受付も、問診をする看護婦も超スローでさんざん時聞を経過して、ようやく診察室に入ったかと思うと、また「どうしました」と聞きます。「何のための問診なんだ、色々聞いたくせに」と思いつつ、それでもMは辛抱強く同じことを答えました。摂食障害でいつもはちゃんと吐けるのに今日は吐けないので吐けるようにして欲しいことを。そうしたら奴は、「、どうして食べたものを吐くの。体に良くないよ。どうしても吐きたいと言われでもここは内科だから吐かせることはできない。外科に行くように」と言うのです。その問、家を出てから約二時間は経過していました。
私は、Mにもう一度一一九番に聞いてみるからとことわって、公衆電話で外科の休日当番医に尋ね、再度状況説明をして吐かせてくれるかを確かめましたが、それは診てみなければわからないということでした。
とにかく、そこからかなり離れた場所にある外科に行こうとMを促すと、Mはもう行かない、また同じことを繰り返して時間ばかり経つし、嫌な思いするのはもういいよ、と言うのです。
この時、普段感情を表さないMが久しぶりに腹を立てたことを、うれしく思ったのは事実ですが、それはそれとしてこの一一九番の電話担当から医師まで、医療の専門家のくせになんと認識不足か、摂食障害について知らないなら知らないと言えばいいのに、根ほり葉ほり聞くだけ聞いて、何もできないんじゃ、この時間はなんだったのよと私も頭に来ました。
このように医療関係者のプロとしての知識不足は論外ですが、偉そうな態度やつんけんしたもの言いをすることにもよく出会います。マスコミで取り上げられるような有名診療所などでは、電話で最初に応対する受付からして横柄な態度をとるのはどうしてでしょう。
また弱い立場の患者に対して一段上の高みに立って、「助けて欲しいの?」、「何とかして欲しいの?」とまるで幼い子供に対する親のような態度は、小児科にのみ許されるごとだと思います。
対等に大人同士として、もっと言えば「お客様は神様です」位の気持ちで向き合って欲しいと思います。
時間に追われる忙しい毎日で余裕がないごとは良くわかりますが、サービス(広い意味の)を忘れないでいて欲しいと願っています。

【ニューズレターNo.31:一九九八年 七月】

安心したら話したい

やじぶ

入院している仲間が、体重の増減だけに注意の向けられた治療に苦しんでいる話を聞くと、自分の無力さと、症状だけに注目しないNABAの見方に出会えた自分は、恵まれていると感じます。私は、症状、だけにとらわれない、NABAの考えを、あるクリニックで知りました。治療につながった初めのうちは、症状をなくして元の生活に戻りたかったので、症状の苦しさを訴えても話題にしてくれなかった時、当時かかっていたカウンセラーに不満を感じました。でも仲間と比較して、自分は吐かないし、中途半端に太ってて、と自分を責めがちでしたので、症状の回数、量の多さ、痩せ具合などの表面のことに、私のカウンセラーが関心を向けなくて良かったと、今では思っています。
ですから「体重が0キロになったら、外泊させよう」というようなことは、標準体重にならなければ、あなたを受け入れない、と言われているように感じます。そして元に戻ったら、もう大丈夫、退院なんて、悲しいです。心が辛いのに。

先生との約束が守れなくて、症状パリパリやってても見捨てないで下さい。言葉にできにくい思いを聴いて下さい。安心して自由に話せる雰囲気を感じさせて下さい。これがお願いです。

ここまで書くことに怯えています。怖かった。泣きながら書きました。

いい医療関係者に出会えても「もの申す」、自分はこうして欲しい、等の要求をすることは困難であることも、理解していただきたいです。
最近もカウンセリングルームの初回面接で、嫌な思いをしたのだけれど言えなかった。カウンセラーの質問に、よく答え過ぎました。初対面の人を信頼しろというほうが難しいはずなのに、一言われたことを行わないといけない気になっていった。四週間たったけど、やっぱり嫌です。怒りを伝えたい。

意見を尊重してくれそうな空気だったので、「もの申す」ができたことがありました。それは、ある摂食障害のグループで、イベントの企画をしていた時、医療スタッフの方が「どうしようかしら……」と煮詰まったようなので、「摂食障害者本人たちにも、やってもらったらどうか」と口を挟んでみました。それは私自身がNABAワークショップの企画ゃ、このニューズ・レターをはじめとする印刷ができること日(二年前の私には想像もつかない、すばらしく感動的なことです)が、大きな自信になったからです。口を挟んだ時は、私もできたのだから、皆もできるよ!と安易に思い付いただけなのが、実のところでした。医療側の答えは、一部の本人に世話役をさせたくないので、結局、医療スタッフ間ですすめる、ということになりました。

確かに、私たちは医療の支援を求めていますが、本人たちの力を信じて、まかせてもいいのでは……と、思った出来事でした。

【ニューズ・レターNo.31:一九九八年 七月】

先生、悲しくてくやしいよ!

福島 恵子

(九八年五月一四日)

NABAへ
あーっ!くやしい!!ちきしようー。てめーら何様のつもりだ!どーいうつもりで、自分の力で歩きだそうとする者のじゃまをする。何が気に入らない?勝手に場所から名前から決めたから?あなたがたを頼らなかったから?あなたがたの思い通りにならないから?あなたがたの思惑とずれてるから?目の届かないところで、活動するから?それにしても、ちょっとひどすぎない?
と思いきり、怒りのテンション上げて書きだしてみた。
私は福島お達者くらぶにかかわっている先生たちに、ものすごい怒りと悲しみを感じている(全員じゃないけど)。
この場を借りて、私のくやしさを聞いてほしいと思う。

五月の第三水曜日から「福島NABA」としてミーティングの場を設けることができた。その報告を五月九日、お達者ミーティングのあと、先生たちに報告することにしていた。これを決めるまでに私は私なりに考え、決断し、NABAや保健センターの方の協力により、まあ不安はあるけれど、場所だけあればなんとかなるさ、くらいの気持ちで、始めようと思っていた(がんばりすぎ、力の入りすぎは失敗をまねくというのは、今まで何度も味わってきたから)。とはいえ、人が集まらなかったら……期待をうら切ったら……考えだしたらキリがない……。それでも「やってみなくちやわからない」と思い直し、また、「たとえ閉じることになっても、それは失敗じゃなく経験だよ」と言ってくれた人に支えられて、五月二O日、第一回目を待つ、だけだった。会場を借りるためにいろんな人と接したこと、これだけでも大きな収穫だと思ったし。だけど五月九日報告後の先生たちの反応は、私の予想と大きくちがってた。確かに「あーそーですか」で終わってくれた先生もいたけれど、「場所借りただけでいい」と言ってくれた先生も、いた。が、しかしそれだけじゃなかった……。
「他の精神障害者が入りこんだときの対応はどーする」
「本人だけの自助グループは続かない。せっかく行ったのに連絡もとれなくなってるよーじゃ困る」とか……。もー思いだすだけで「くーーーっ!」となる。私は私なりに意見を言ったつもりだけど、何せ相手はいわゆる「りっぱな先生たち」。「はい、わかりました。もう、けつごうです」という先生の一言で私は用済みとなった。くやしかった。「摂食障害者に何ができる」っていう対応だった。少なくとも、私はそう感じた。「自分が後ろから守ってやらなくちゃ絶対に失敗する」と決めつけている。失敗って何ですか?続かないことですか?続かなくてもいいじゃないですか?まただれかが始めればいい。かき乱す人がでできたら……そしたら、そのとき考えればいいじゃないですか。そんな失敗するって決めつけて、何もやらなかったら何もかわらないし、何より今までの頭でっかちの時と同じじゃないですか。「思ったこと、考えていること、まず口に出して言ってみる。動いてみる」。やってみると、話してみると、なーんだと拍子抜けするほど簡単なことだったりする。それがNABAやお達者でわかることができた。、だからミーティングがとても必要だと思ってる。今の私はとりあえず過食という症状も自傷行為もない。でも考え方はまだまだストレートじゃないし、人間関係もスムーズじゃない……。もしかしたら私自身が福島NABAを支配し、コントロールしようとしてつぶれるかもしれない。だれかが恵子ちゃんとはやりたくないからと、別につくるかもしれない。それならそれでいいじゃないですか。回復のきっかけは、どこにころがっているかわからない。あんなふうに言われたら「意地でも続
けてやる」って思っちゃうし、もし困ったことがあっても「ほーれ」と思われるのがくやしいから、「意地でも相談したくなくなる」し、「がんばって下さい」には、「いいえ、がんばりません」としか言いようがない。
心配して下さるのは、ありがたいことです。ですが先生に言われるまでもなく「続かなかったら……」「ミーティングの流れがおかしくなったら……」そんな「もし~だったら」は、何回も何回も頭の中をぐるぐるまわっています。それでも私は私を語れる場を増やしたいと思いました。それだけです。それだけなのに、あんなふうに責められるとは思わなかった。別にほめられるとは思つてなかったけど、取り戻しかけた自信を打ちのめされるほど、ショックだった。悲しかった。まだ第一回目もはじまっていないのに、やめたくなっちゃったよ。チキショーだわ。いろんな感情がごちゃまぜになっていてぐちゃぐちゃだ。書いたのはいいけど、出すの恐いよー。
伝わるかなというより、後々のおたっしゃとのかかわりとか、反応とか考えちゃう。あいかわらずだ。でも何枚か書いたうちで、一番自分の気持ち書けてると思う。まとまってないけど、このまま出します。汚い字ですが、ワープロ清書、よろしくね。
あーしかし、こんなこと出していいのかなー、不安 ふあん 不安 フアン……。
えっ?まだ書き足りてない?そーかなー。

日を追うごとに

FAXより(五月 一一日)

NABAへ
いきなりですが、私おこってる。地元のミーティングの場をしきっている一部の人に(かなり遠まわし……)九日以来、怒りはしずまるどころか「くやしい」気持ちも相まって、頭はカッカッカッ。あの人たちの言葉、そのときの表情が日を追うごとに、ものすごくにくらしい……。
何がそんなにあの人たちの怒りをかったか……そんなのはどーでもいい。その部分は何となく予想していたから(だけど想像以上だった……)。私がおこっているのは、あの人の「わかりました、もうけつこう」って言われたこと。もう一人の「実験だから」という言葉……。
何がわかったの?聞き返せばよかった……。実験って何?私は、私たちは、あなたのモルモットでも人形でもない。感情をもった人間です。あーものすごくおこっているのに、文章・言葉にするとちょっとち、かつてくる。うまくいえない、書けない。
上手にまとめて、みんなにわかってもらいたい気持ちがでてくる。でも、頭が怒りで先走って、うまく表現できない。
あーもーくやしいーー。何でもやってみなくちやわからないじゃないかー。「もしーだったらどーする」。この頭でっかちだった私をミーティングで「まずやってみる」方向へ転換できた。だから私はやってみる。「ミーティングを閉じることになっても、失敗じゃない。経験だ」、そう言ってくれた言葉に(人たちに)支えられながら(→精神的に……ありがとう)やっていく。
今の私とその人たちとの関係は、まるで北風と太陽だ。
ぐちゃぐちゃの文で失礼しました。

怒りをとどめておきたくない

FAXより(五月 一一日)

NABAへ
たびたび、ごめんなさい。FAX用紙のムダ使いごめんなさい。でも、くやしくて。すぐに送りたくなってしまった。
チキショー、チキショー。ミーティングやりたかっただけなのに。場所決めて、名前決めて、日時決めて、それだけなのに、これのどこが気に入らない日学生の時に、先生に一方的にやりこめられたときのこととか一緒くたになって、イカリがとまらない。
考えすぎるからなのか?流せない。くやしさが、いろんなことをつぎつぎ思いださせる。泣けてくる。
こんな思いするとは、思わなかった。へっちゃらだと思った。九日、夕食たべて、笑いとばして、ちょこつとあとからぐちって終われると思ったのに。
ごめんなさい。自分の中だけにとどめておけなくて。ある仲間(←今はおたっしゃにきてない)から吋己がきた。「今度NABAが始まるってー。東京のNABAからだれかくるのかなー」、こーいう期待している人たちをうらぎってしまうとか、いろいろ考えだしちゃうよ。
いいーんだよね。場所つくった。それだけで。それにしても、あーーつだ。
もーおわりにする。
聞いて(読んで)くれる人たちに場所に感謝。

かかわってくださる方々へ、どーしても言っておきたいこと

FAXより(五月 一五日)

NABAへ
おはようございます。一四日の手紙に、足してほしいと思って書きます。どーしても一言っておきたいので……。

私(摂食障害者たち)にかかわってくださる方々へ

私は今まで人の心を読み取り、その期待に応えることが、私、だと信じていました。ですが、過食という症状がでてミーティングに参加したり、本を読んだりする中で、それは自分を生きていないことだと気付き、今それを変更中です。ですが、もうすでに何年もその方法でしかやってこなかったので、無意識のうちにもどっている(役目を行う)ことがあります。
ですからあなたがたの厚意、親切、親心のようなものはとてもありがたいのですが、ちょっと乱暴に自分からつき放すぐらい距離をおかないと、又いろんな顔色、声の出し方、うしろからの視線を読みとって、みんなの望むみんながよろこぶ、という「私」抜きの私をやってしまいます。それではいつまでたっても堂々めぐりです。「いろいろ守ってあげないと」というのはどーか私たちのためにならないんだということを、心にとめておいてほしいと思います。生意気なこと、充々承知のうえでおねがいします。

追伸:書きだしたら、ごきげんとりどころかますます怒りを買いそうな文になっちゃった。ですが今の気持ちです。一四日の手紙の文を冒頭に希望したのは、日付通りのFAX文より、まずあれを読んでもらいたかったからです。

【ニーズ・レターNo.30:一九九八年 六月】

生活保護とアディクシヨン

前・大田区福祉事務所 蒲田保健福祉センター 野口誠

私は、東京都大田区の福祉事務所の生活保護のケースワーカーをやっています。もう一二年ぐらいやってるんですが、今日はNABAの人たちに生活保護のお話をしていきたいと思います。生活保護は、別に医療やそういったものを支えるための制度ではありません。むしろ貧困、つまり貧しいということに対して、どうにもならない時に、国家が保障する、最低限の生活を保障する、そういう制度です。
だから例えば摂食障害であるとかアルコール依存症であるとか、そういった病気の病名で生活保護が適用になるとか適用しないとか、制度を利用するとか利用しないとかいったふうな考え方には立ちません。むしろその症状の強さとか、そういったものを総合的に考えていくもの、だと思います。
アルコール依存症について考えると一番、手っ取り早いんですが、そうですね、例えば癌の話をしましょうか。癌の人がいます。働ける能力はあり、今、働いてます。でもほんのちょっとしか働いてないのでお金はありません。この人は、生活保護が受けられるでしょうか。いろんな預貯金の調査とか、まあ貯金がいっぱいある人は生活保護が受けられないなんて当り前ですよね。そういうふうにいろんな調査があった上で、稼いでいるお金がほんのちょっとしかなかったら暮らしていけないから、その足りない分を生活保護費として出すわけです。彼は癌だけど働ける力があって、もっと働くごともできて、とすればその人は生活保護にならないでしょうか。癌という病名だから生活保護となるわけではないです。でもその方は今、入院して手術をするなり、放射線を当でなければ、将来悪化して死亡してしまうとか、病状が極端に悪化することが明らかならば、今働かないで入院をして治療に専念する、でその問、生活保護を適用するのは、これは逆に言うと当然なことです。
だから例えばアルコール依存症の人が飲んでいない時はしらふだし、だから働けるはずですよね。表向きそこの部分だけを取り出せば働けるんだけど、アルコール依存症の人が簡単に働いてはいけない場合はあるんです。それはお医者さんやセラピストなり、回復に向かう先行く仲間、この人たちの考え方がとても重要だと思柚つんです。で、働けばしばらくは働くけど、確実にスリップして、また病状が再燃してしまうのが明らかであるならば、今働けるように見えてもそれは働けないです。そこで、生活困窮が起こると生活保護の制度を使うことになるわけです。生活保護はこのように考えていきます。

さてじゃあNABAの人たちはどうなんでしょうか。NABAの人たちは一見とても健気で元気そうです。前向きな姿勢を見せたりすると思います。確かに働けるかもしれません。でも症状が強くて、今は治療に専念した方がいいと判断があれば、それはやはり働けないんですね。ただしそれはご本人が下す判断じゃなくて、やはり税金を使うものだから客観的な判断が必要です。そのためにはセラピストなり医者なりの判断、治療に専念した方がいいという判断があれば、生活保護を受けるとか、そういうふうに考えていけばいいと思います。
多分、自分自身のお気持ちだけでは片付かないところがあるんじゃないかなと思うんですね。
それとこれは生活保護に限らず、アディクションという病気の場合に、働きたいという思いの中に、不健康なプライドが入っている場合もあるので、そこでその不健康な。ブライドに振り因されて働き始めれば、あまりよくない状態もあるし、また多少なりとも、今日一日だけでも前向きに歩いていくということが必要な時に、それをしたくなくても歩いていくことが必要だし、その辺の判断も僕に言わせれば、セラピストなりお医者さんなり、それから先行く回復の道を行く仲間の助言が大切だと思います。自分でこういうふうに決めました、決めますというよりも、他の人に相談をしていろいろと検討した結果、こういうふうに決めますというのが、本当の在り方じゃないかなって思います。
人間って追い詰められると、どうしても自分の気持ちが先に立って、それで決めてっちゃうところがあります。でもこれはけつこうヤパイんじゃないかなと思っています。そもそも一生懸命考えているっていう時に、人聞は一生懸命考えていないんですよね。むしろそういう時は感情の嵐が起こっているんだと思います。嵐が起こっている時に、客観的に知的な判断つてなかなかできないもんですよね。だから一生懸命考えるのは、やめた方がいいかもしれないですよね。コンディション良く、リラックスして考えていくつて難しいですよね。まあ、自分の頭で足りなければ、やはり仲間の頭、あるいはセラピストの頭を借りて、助けて下さいつというふうに言って、で、その上で自己決定をしていくつていうのが大切だと思います。
こう話すと生活保護つてなかなか難しいと思われますが、必要だったら活用した方がいいと思います。治療に専念しないと病状がどんどんどんどんひどくなる、そういった時はやはり活用してもらいたいと思います。
お金はほんの微々たるお金でも、生活保護を適用されれば、なんとなく支えられているという気持ちも起こってくると思います。でも支えられているっていう気持ちが邪魔な人もいるわけだし、その辺、難しいとこですよね。

それと最後に、生活保護の制度でもそうなんですが、アディクションっておもしろいですよね。
だってある時は、自分の頭で考えて決めなさいというふうに言われたり、ある時は自分の頭を信用しないで、他の人の意見で決めなさいよと言われたり、どっちも本当ですよね。とっても矛盾に満ちたことが両方とも本当で、それがまるごとっていうのがアディクションの世界、だと思います。回復の本質はそんな矛盾を自分自身の体の中に取り込んでいくことなのかなって思うんですけど、皆さんはどう思うでしょうかね。
僕もひどい感情障害とひどい人間関係障害、人間関係噌癖の中で、皆さんと共に生きていけたらなと思います。それでは、さようなら。また。
(現所属:更正施設 塩崎荘)

【ニューズレターNo.30:一九九八年 六月】

NABAの会費について

かずお

摂食障害のかずおです。
現在、病気重症のため休業中で、生活保護を受けています。二四歳(一二月二六日なったばっか)・もちろん独身。結婚願望ゼロ、恋愛願望はよく分からん。
仲間との恋愛は危険かな?ちょっとパスかな?本当よく分かんない。あまり考えないようにしている。もっと大きな人生の目標を探索中、ちょっと見えつつあるかも知んない。どうでもいいですね、こんなこと。なら書くなって!すみません、文字稼ぎです。
もうちょっと簡単に、自己紹介。僕が摂食障害になったのは、大学一年の秋ごろ、六年くらい前かな。ダイエットがきっかけ→初めはうまくいっていたが、カロリー計算等、食べ物にとらわれる→同時に人間関係、友達付き合い、しゃ断していく→食べ物の世界に完全にはまる→ダイエット、減食のストレス爆発→過食幅吐ぼっ発、それからはよく覚えてないが、結構悲惨なもの。
そうだ、初めに書いておこうと思っていたのだが、俺は自己憐慨に浸っているわけではない。この文章を書くにあたって、そう言われるのが一番嫌だった。これを読んで「こんな奴もいる。私の方がいくらかマシかな」あるいは「私の方がもっともっと苦しいのよ、フザケンじゃないわよ!」と思う人いろいろだと思う。人はどうしても人と比較をしてしまうところがある。ただ、俺は自己憐聞に浸りながら、俺はこんなに不幸なんだ、同情してくれなんて思って、書いてるわけでは決してない。万が一にも、そう思われるのが一番ムカつく。
俺は半年くらい前から、閉じこもりから(足洗って→脱却して)ミーティング毎日通って(一日一二回くらい行ってた時もある)、人とたくさん話して、みんなにいろんな境遇があって、みんなそれぞれ苦しんでいるということを多少なりとも知ったつもりだ。
この文を書いたのは……えーっと、NABAに微力なりとも協力したいと思ったからかな。いい子しちゃってとか、無理しちゃってとか思われるかも知れないけど、そう思っちゃったんだから、仕方ないでしょ。協力精神おうせいなんだよ、オレは。文句ある?
話を元に一戻すと、いつだったかに母親に思い切って打ち明けた。それから医者に勇気を出して話した。それから診療内科、神経科、いくつかの病院をたらい回しにされた。その間で入院もさせられたし、わけ分かんない手術もされた。今、思えば、ふざけるなだね。大学は行けなくなり、四年の夏に中退。家に閉じこもり、母親に食料を買いに行かせ、食べて吐いて、テレビ見て寝るだけの生活が半年くらい続いた後、ついに家を追い出された。家は貧しく、仕送りほとんどナシ。おいおい、追い出しといて、そりゃないよ。仕方なくバイトを探す。今までいろいろバイト(引越、ファーストフード、家庭教師、塾講師……etc)の中で、一番楽だったコンビニ夜勤(そん時はそれしか出来なかったよね)を選んで、生活費(食べ吐き代含む)を稼ぐために毎日働き始めた。最初、急に体を動かしたから、体重は三八キロ(しんちょー一七四センチ)まで落ち、ぶっ倒れた。さすがに一時幅吐は止まり、仕事をたくさん覚えてチーフになった。月給は二O万前後だった。
コンビニだから食べる物には困らず、チーフということもあり、本シフトの夜勤八時間を含め、毎日一四1一五時間くらい働いてた(「手伝いまーす」とかも言ったりして)ワーカホリックだったね。お金は貯まった。お金に困ることはなかった。たまに遊びに行く時も金に糸目は全くつけず、物が欲しくなれば何でも買い、人にも平気でたくさんおごった。お金の価値観ゼロ。
現在はそのツケが回ってきたんだね。生活保護の受給額は、働いていた時の半分くらい。それ聞いた時は、お金の価値観・感覚失っていたから、よく分からなかったんだ。どーいうことになるか。

ただ、やっぱり、孤独、寂しさ、虚しさからだろう、症状はげしくぶり返して(もちろん止まっていたのはほんの一時で、すぐぶり返したんだよ。二応、仕事と症状と二年間、格闘したんだよ)。もうどうにも辛くなってて、仕事を辞めても、(お金が)生活費がもらえるんなら、お願いだから仕事辞めさせてって感じで、とうとう辞めた。

しかし、とんでもないことになった!!摂食障害(過食曜吐)を抱えた重病患者が生活保護だけで一人暮らしで生活するのは、ほとんど不可能ということに気付いた。

今まで働いてた一四ー一五時間の空白、夜勤の後遺症で眠れない時間のプラスペ遊ぶ友達が見つからない。すること見つからない。二二、二三時間食べ吐きonlyあとテレビや漫画くらいかな。だいいち、たまに友達と遊んだけどつまらない。
死んだ方がマシだったね。何度死のうと思ったことか、本気で。でもおく病で勇気が出せなかった。(とび降り自殺と場所までは決めたんだけれども)去年の一一月の初め、ちょこつと通っていた医者にミーティングに行くしかないよと言われ、わらをもすがる気持ちというより、そうすれば同じ悩みを持った友達ができて、孤独から解放され、何とか道が開けるかなと信じて、行ってみた。が、僕は男だったし、そうすぐには簡単にはいかなかった。だけど今回は頑張って行き続けた。
そして一ヶ月くらいして、やっと仲間ができたかなって思えた。それはとても心強いことで、心の支えができたようだつた。
僕はNABAにも行きたかったが、入会金三000円と会報講読代の年会費一万二000円、あわせて一万五000円なんて金、今のボクのどこをしぼればそんな金、出てくるのって感じだった。でも畳間の時聞を埋めたかったし、NABAにも本当に行きたかったから、その最初の一ヶ月、別のミーティングに行きながら、生活費、主に食費を節約して食費の節約は辛かったて一万五000円貯めて、ついに入会した。
NABAの人と生活保護受給者の入会金についてという話をしたが、あくまで僕個人が思っていることは、ただでさえ自分を低く落としめがちな僕達、自分はここにいていいのか(特にボクは男性だし)と思いがちな僕達だから、せめて入会金 はみんなと同じ額を払った方が、余計な負い目を作らなくていいんじゃないかと思う。それに生保受給者が最低の生活をしているとは、決して思つてないし、中には、もっと厳しい状況下で生活していってる仲間もいると思うから。こんなとこですね。
仲間がいるといいですよ。ミーティングに行けば、フエローシップで話をすれば、ゆっくりかも知れないけど、いろいろと何かが分かってきて、良い変化をしていけると思う。自分はそうだつた(か)なあ。

ちなみに、どうでもいいかも知んないと思うけど母はACを自覚して自立を目指し実家を出て、行方不明中。
残された父は、ちょっと前に退職もしてしまったけど、今なんとか一人でやってるみたい。
弟は、僕がこういう風にかぶったおかげで、超元気、活発にしてる。こんな感じだから(お金はもちろん、他にもほとんど何にも家族には期待してない)。
でも仲間ができたから、今は自分の明るく楽しい未来を信じてる。もうすぐ仕事も復帰するつもり。どーもでした。自立、目指すよ!

【ニューウ・レターNo.28:一九九八年 四月】

働くより先にすべきことがある

新宿区・婦人絹談員 湯漫範子

ももえさんヘ

先日、お別れする時の手のぬくもりが今も残っています。少し(かなり)混乱していて、その後も自分なりに考えたことがあるので、手紙にしました。
まず、NABAの会費と生活保護のこと。私は、初めて入会申し込み書を見た時の一万五000円という数字から、「生活保護の人は無理だわ」というのを強く覚えていて、この会費では生保の人は……と思いこんだままになっていたと思います。ただしいっぺんに払わなくてもいいと考えれば、充分可能な金額です。また改めて、ニューズ・レターのバックナンバーとか見て、NABAのワークシヨップは格安(!)で、集会なども生保の人でも可能だと気がつきました。高田馬場の駅で立ち話をしたとき、AKK(※)関係の講座、医療・カウンセリング機関の講座、ワーク等の金額が頭にあって一緒になってしまって話をした部分もあると思います。ごめんなさい。
その後、NABAのミーティングに行く交通費、ワークショップ等について、生活保護費で出るのか色々な人に聞いてみましたが、ある文章をどう解釈するかで出せるけれど、扱いはまちまちであることがわかりました。会費は出せません。私は交通費とワークの費用は、生保で出す方向で声をあげていった方がいいと思います。
生活保護は病気の人が受けて、病気は医者が治すというパターンがあるので、医者に行っても治らないアディクションの問題はとても理解されにくいし、医療機関以外のところで回復への道が探れる場合、そこにつながるための費用を保護費として、保障していくという大きな方向は、出していくべきだと思っています。その上で、自腹きってこそのいきごみは必要と思うし、そのとおりと思います。

昨日、伊波先生に新宿区役所にきて、話してもらいました。アルコールや薬物や食べ吐きもそうだと思うけれど、能力の高い人たちで力(パワ1)の方向がちがうだけの人たちに、今の生活保護のシステムをあてはめようとすること自体、無理があるという話があって、ほんとにそうだなと思いました。とはいえ、当面はある一時期「働けない」というより、働くより先にすべきことがあるというのを「労働不可」と判定して、生活保護にならざるを得ない人がいるのは事実で、福祉事務所でのトラブルや、いやがられている感じは、ひとつずつほどいていくしかないのかな、という風に感じています。
また、どこかでお会いできたら、お声をかけさせて下さい。

【ニューズレターNo.28:一九九八年 四月】

※AKK…「アディクシヨン問題を考える会」:アデイクシヨン問題に直接関わっている本人、家族、専門家たちによって設立された「市民の会」。