勝手に言いたい放題

ももえ

前号の文章から、私が感じたこと。「弱いものは守られるべき」の「弱い」って何だろう?もちろん弱い立場、例えば子供や病人に優しいまなざしは必要だと思う。しかし女性や摂食障害者は本当に弱いんだろうか?男性に一方的に守られるべき存在なんだろうか…こんなことをふと考えさせられた…られる。
少なくとも今の私は、自分のことを、「弱い」から摂食障害になったとは思っていない。むしろ弱々しさを子に入れるための手段として、摂食障害があったとは思う。それは、無意識にもしかしたら自分はいわゆる世間一般でいう「強い女」「力を持つ女」の一人かもしれないという恐怖、理不尽さを感じとっていたから。……だって、どう考えたって「か弱い方が絶対的に得してる!」と思ったもん……。
でかい体、できる力、その結果「ももえは大丈夫」と言われること……「ぜんぜん大丈夫じゃないよ」
「私だって可愛がられたいよ」そんな怒りややるせなさでいっぱいだったあの頃。今だって大声で泣きたくなるごとがある。そんなことは私には似合わない…と、つい突っ張ってしまう私。誰か甘えさせて、可愛がって、と思いつつ。
だけど私、そんなに男の人に一方的に守ってもらいたいって思ってきたかっていうと、そんなことないね。むしろそこら辺の男を頼るぐらいだったら、
「自分の中の男」の方がよっぽど?ううん、一番、確実に頼りになるよ。ましてやはっきり言って摂食障害の男なんて!頼られることがあっても、頼ることなんて全くないね。まあ、この私に対して「頼れ」なんて言う男はそれこそ皆無。万が一そんなこと言ってくれたとしても「勘違いしてんじゃない?まずは自分の面倒見ろょっ」ていう感じかな。これが偏見と差別っていうことだったら、私自身認めます。

しかしどうして、時々こんなにも摂食の男らにイライラするのか?多分、私の中のメメしい部分を見せつけられるようなところにあるのかな?
ところで男性が強いって、確かに生物学的には体力とか、事実そう言える?
だけど何をもって強いっていうんだろう?むしろ弱いからこそ強さを誇示する…そのカの確認のために弱い女の子が必要になるって考えられない?
そんなんだから女側が自己表現・実現しようとすると、理論・筋肉・経済力等でねじふせようとしたり、また可愛い女を求める一方で、母親をも求めてくるんでは?もちろんね、ほんとにほんとに女性特有の傷つきつであって、男性側の配慮や理解、学習を求めている私がいるのも事実だけど。でもそれは一方的に弱い女を守る、保護してあげるっていうのとは遣うよ。私たち女性は女性で力を持つことを恐れず、自分たちのことを自分たちのために考え、声を出していくことが必要で、男も男たちで、女に「~してあげる」っていうんじゃなくて、自分たちの生や性について深いところで本気で見つめ、本音で語ってほしいと望む私がいる。
せっかく摂食障害になって、そこで出会った女と男だもん。私たち仲間に限らず、対立でも、変に仲良しこよしするんでもなく、対等な位置で、対等な関係を考え直してみたいな。その上で私も「甘え上手」になりたいわなあ。

【ニューズ・レターNo.30:一九九八年 六月】