NABAの紙上オープン・ミーティングに参加してくれてどうもありがとう。いかがでしたか?
私はミーティングで初めて、それまで深い井戸に閉じ込めてブタをしていた、生きることの虚しさや親への怒り(今は感謝しています)、劣等感と向き合うことができた。話しているあいだ、自分がバラバラになってしまうような、世界がどうにかなってしまうような恐怖や、「こんなの迷惑だ」という自己批判がいつも「やめろ」って体を引っ張る。でも、井戸に降りていき、足を踏ん張った。話し終わると、嘘の自分じゃなく本当の自分でいられたことの確かさに満たされ、生きてるって実感した。そういう場があることは文字どおり「有り難い」ことだと、会社と家の往復の今つくづく思う。
本書はミーティングの「有り難さ」を再現するために、文字をそろえてとか、著者順を並べ替えて整理してといった通常作業をあまりしてないので、少しわかりにくいかもしれない。「いいかげん」「ありのまま」ってことですね。それでも単語を直したり、テレフォン・メッセージに多い「っていうか」や重複部分などを削除したところ、仲間から校閲しすぎと抗議があった。確かにミーティングの語りは丸ごとその人だから、直すことは冒涜と言えるかもしれない。でも、この本は一般書なので失われるものがあるのは仕方ないと思う。少なくとも「最低限の直しのみ」という筆者との約束違反なのは事実です。筆者の皆さまごめんなさい。
それではこれからも、ボチボチといいかげんを目指して……。
編集委員第一号
編集委員二号のあきこです。「溺れる者はNABAをもつかめ!」と、ワラならぬNABAをつかんではや一O年。たっぷり水も飲んだものの、ただの「陸地」にどうやらたどりついた。そこはパラダイスでも天国でもないが、「この本の編集のお手伝いをする」というような思いがけないイベント(?)はごろごろ転がっていそうだ。
難産ではあったが、たくさんの人の力を借りてこの本はようやくかたちになった。NABAの内外で摂食障害と生きる方々、そして今まで摂食障害とまったく縁のなかった方々、ひとりでも多くのもとに届きますように。「分析おことわり!」というタイトルは専門家の方々を排除しようとするものでは決してない。この本を「地球によく似た星」(表紙の絵をごらんください)にたとえれば、ここで「専門家」「治療者」「援助職」たちと摂食障害者本人・家族とが、「患者」「症例」「ケース」という名前以外で出会って「治す治してもらう」以外の関わりをもったり、またそうした出会いがこの星から外へ外ヘ広がったりすればいいなあ、と思う。
私がかつて一冊の本に背中を押されてNABAにつながったように、この本によってNABAを知った、あるいは前から知っていながら参加するのをためらっていた方々がこの本と出会い、NABAにつながるきっかけとしてもらえたら、とても嬉しい。今すぐでなくてもいいから、「気の向くまま足の向くまま」でいいから、「NABAってどんなところ?」って確かめにきてみませんか。なんて書いてから、それは自分の勝手な願望、おせっかいかしら?という気もしてきた。うーん、まあ好きにしてください。ともかくNABAにはいつでも仲間、いますからね。(あ)
編集委員一号圭子さん、二号あきこさんはじめ、皆に助けられてばかりだった桃江です。
『ニューズ・レター』を一冊の本にまとめたいという念願がかなって、何よりも嬉しい。それにしても、やる気になったらいつでも作れると安易に考えていた作業もいざ取りかかってみると、私にはとの本作りは無理だということが早々にわかつて、自分でも驚いた。
私はやはり、「ニューズ・レター』六O号分からの原稿選定ができなかった。一つ一つの原稿に
その顔その時の情景がうかび、どれもこれも愛しい物語である。とうとう原稿選定委員にお任せすることで本当に救われた。選んでもらった結果、圧倒的に群を抜いて支持された原稿は極めて稀で、ほとんどが誰彼かによって推薦を受けていた。それぞれ千差万別の好みが表われているかのようで、NABAらしいなと今さらながら新鮮だった。次は推薦順から淡々と並べていくはずの私が、今度は今度で選ばれた原稿を無視してでも、自分のものも含めこっちよりあっちの方を載せたいとか、ずるい考えが出てきてスタートからもうめげていた。
編集作業にも困った。毎月の『ニューズ・レター』発行程度に考えていたが、そんなわけないだろってことで、前段階も併せて、先の二人に泣きついた。日曜日ごとに集まっての作業は二人に会えることこそ楽しみだったが、時々とんちんかんなことを言っては失笑をかい、途中からはせめてじやましないようおとなしく列していた。こんな立場なのに、圭子さんに抗議したのは私。
彼女たちの能力に嫉妬したのか、ここらで自分の存在を、と巻き返そうとしたのかも。ただ、とかく調査研究者やマスコミ取材関係者の方々などが、NABAや摂食障害(者)を一般にもよりわかりやすく伝えるためにという名目で、その人の思惑や思い込みが先に立つ十把一絡げの表現をしがちなことと、重なって見えた私には残念だったのだ。また、自分で手直しをしたがっていた筆者たちに期限をたてに情け容赦なく校正ゲラを取り立てたからには、皆との約束は守りたかった。結果的には読みやすくなったことは確かで、私もいいかげんじゃないのねと自分のことは笑えるが、筆者の方々には、現場監督pの私からも不行き届きを謝ります。
そして、私の出番がやっときた、「まえがき」なんて簡単にやってしまえると甘くみていたが、ここ数週間はマジにノイローゼになりそうだつた。「私」が思うことを「NABA」や「私たち」で括ってしまっていいのか?このまえがきのせいで本を買う気にならなかったら?誰かから恨まれたら怖い!私こそNABAの究極のよい子Pいやいや極めつけのたち悪い危険人物か円……などなど。目も頭もグルグル回りで書き綴るうちにどんどん大河ドラマになるは、自分の表現力の未熟さや限界を突きつけられ、やさぐれるはで大変だった。皆に苦笑されつつもなだめられ、とにかく書き上げた。最終的には一般図書のいわゆる「まえがき」には相当しないという判断で、「はじめに」という名前に変えやっと勘弁してもらった。だけどこんな状況に、ひと昔前の私だったらとっくに過食幅吐にはまるか、ひきこもるか、NABAから失綜でもしていただろう。今回の件で一人の力では限界があって無理なことでも、皆に助けられ一緒になら実現できることがあり、またその喜びも改めて知ることができた。私もやれるだけのことはやった。あとは多くの人々・時・神様の力にゆだねたい。
症状がなくなり、いわゆる社会復帰を「治ること」として、何かその方法や答えが見つかるのではと読まれた方には、乙の本は期待はずれかも。ただ、治す場ではないNABAに救われた私(たち)がお伝えしたいメッセージは「摂食障害になってはいけない」ではなくて、「摂食障害になっていいんだよ」ということだと思う。症状を頑張ってなくそうとしてクタクタになり死にたくなるぐらいなら、症状をもちながらでも生きていてほしい、共に生きていきたいと切に願う。
最後になりましたが、この出版事業は「トヨタ財団」のご助成によりかなったことを心より感謝いたします。デザイン担当だけのはずが、編集委員三号と錯覚するほどにお力をくださった逸見涼子さん、期限ぎりぎりのお願いにも関わらず快く素敵な表紙絵を描いてくださった門脇大作さん、財団への助成申請から進行まで助言、時には奔走してくださったNABA応援団のじろうさん、こちらのわがまま勝手な言動にも最後まで辛抱強くお付き合いく、ださいました東峰書房の高橋衛さん、厚くお礼申し上げます。筆者の方々、編集委員の圭子さん、あきこさん、原稿選定委員の中川ょう子さん、矢崎あかねさん、大塚経くん、川口綾子さん、近藤衿子さん、ゆうこさ
ん、智子さん、きょうこさん、レイコさん、なおこさん、たか子さん、Kさん、Moさん、Haく
ん、-くん、煩雑な作業を引き受けてくれた三浦恵子さん、大和田尚子さん、川島真紀さん、赤木佳子さん、私のまえがきにフィードパyクしてくれた山口真理子さん、NABAの友人の浅野千恵さん、皆の協力があったから、この本が生まれ、広い世界へ送り出すことができそうです。
もちろんこの本作りに限らず、NABAややどかりーず(家族の会)のたくさんの仲間たち、ここや摂食障害者に日頃から関わって下さっている皆様へも、思い浮かぶそれぞれのお名前を書き連ねられないのがとても心残りです。多くの本の「あとがき」にある謝辞を単なる建て前と見ていたけど、今回、私自身、が本音として体験することができました。本当に本当にありがとうございました。摂食障害のあなたとも、摂食障害をもっていないあなたとも、分析好きのあなたとも、この場以外でもまたお会いできることを楽しみに!では。
二OO二年二月二八日