大阪 めい&かず
私の宝物 夫と仲間、そして私自身
こんにちは。大阪NABAのめいです。今日は「私の宝物」っていうテーマで話したいと思います。今私が大事にしたいなと思っているのは、夫と仲間、それと自分自身です。まず夫とは一O年以上前からのつき合いなんだけど、いい関係になってきたなーって感じ始めたのは二年ぐらい前からかな。昔は、彼との距離のとり方とかわかんなかったし、自分の気持ちの伝え方が下手だから、言葉を使つてのコミュニケーションってすごく難しかったんですよ。NOがはっきり一言えないしね。しかも「こうして」とも言えない。でもNOが一言えないからってそこであきらめてるわけじゃなくて、私の心にはいつも漠然とした欲求不満みたいなものがあって、それを感じた時に拒食や過食っていう形を借りて出してたなあって思うんです。自尊心なんて全くなくて、いつもビクビクしてました。彼といても安心感なんてなかったし、一緒に何かを楽しむっていうこともできなかった。笑ってる時間っていったら、今の一O分の一以下だなって思います。いつも不機嫌な顔をしてたなーっていう感じです。
彼はとても健康的な人で、機能している家族で育ってるから、他人との関わり方や自分との関係が私とは全く遠》つんですね。何でもそこそこ楽しめて、人ともうまくつき合う、自己肯定のできる人なんですよ。そんな彼がうらやましくて、うらめしくて、もしかしたら恨んでいたのかもしれないです。でもね、私には彼しかいなかったんですよ。だからすがっていたんだと思うんです。両親には絶望していたし、本音で話せる友達もいなかったし。だけどダイエットは彼には内緒でごっそりゃっていたし、過食も、しばらくは黙ってたんですよね。彼にばれないうちに治そうなんて、過食のことを甘く見くびってたんですよ。でも症状はどんどんひどくなるし、仕事も、就職してもすぐにやめて、転々としたりして、そのうちこもりだしたら抑うつもひどくなっちゃって、「何とかしてよ」って感じで彼に告白したんですよね。
彼はびっくりしたとは思うんだけど、最初あまり深刻には考えてなかったと思うんです。「そのうち治る」なんて舌口ってたような気がするんですよね。私はもう必死で、彼に何とかしてもらいたくて、斎藤(学)先生の本とか送りつけて「読めー!」とかやってたんですよ。彼は彼なりに私のこと心配してくれてたんですけど、私はいつもなーんか淋しくて、「ムチャ孤独ー!」なんてやってました。二人でいても、いつも淋しいって思ってました。何が淋しいのかわかんなかったけど、すぐイライラして、イライラしては彼にあたったり、わけもなく泣いてみたり。そんなこんなで何年かたって、症状の方も結構きついところまで来てて、こもりも底っきてしまったんです。それでやっとNABAのミーティングにたどり着けました。
彼自身の話は、乙のテレフォン・メッセージの他のメニューで聞けるから、聞いてみて下さい。彼も私に振り目されて、すごく変わったと思うんですよね。でも基本的に愛されて育ってる人なんですよね。そんな彼を見て、私は他人との関わり方とか、健康的なものごとの考え方とかを学ばせてもらってます。私はどうしても彼に親を求めてしまうんだけど、彼は「親にはなれないよ、俺はパートナーなんだよ」って言ってね、私を大人扱いするんですよ。冷たいなーって思いながらも、そうやって関わってくれたことを今では感謝しています。対等な関係っていうのってすごく難しいと思うんだけど、もしかしたら彼とは、そういう対等な関係作れるかもしれないなって感じです。何ていうか、親密さ、彼とは本当の意味で親密になれたらなって思います。
もうひとつの宝物は、仲間です。NABAにつながった四年前には、仲間って何?って感じでピンとこなかったんですけど、今ではもう仲間なしではやっていけないんです。もちろんミーティングも大事ですけど、仲間との関係の中で私は成長してきた感じがするんですよ。人間関係がすごく下手だから、どう関わっていいかわからなかったり、距離のとり方も変で、巻き込んだり巻き込まれたりしてきたけど、そのつど頭打ちながら、関係を作ってきました。
「ああ、あの人怖いなー」とか、「あんな奴キライだー」とかね、それとか「話聞いて!なんて言ってもいいのかな」なんて悩みながらやってきました。でもとにかく淋しかったから、人と関わっていたかったんだと思うんですよ。「私はここにいてもいいの」っていつもビクビクしてたけど、最近やっとここは私の居場所なんだって感覚が持てるようになりました。
この頃は仲間の笑顔や泣いている姿を見ていると、何かいとおしくなってしまう自分がいます。一緒に笑ったり、一緒に泣く。もちろん嫌なこととか、傷つくこともあるんだけど、いいとこばっかりの人間関係なんて少ないんですよね。それに傷ついた時はミーティングで「私は傷ついたんだ」って一言えますしね。対人関係っていうのが変わってきたら、自分と症状との関わり方も変わっていくつていうのが実感です。もう何年も食べ物に泣かされてきた私が、今は何か食べ物で救われてるから、何かすごいよねーっていう感じです。今は仲間と食べる食事がすごくおいしくって、ありがたいなって思ってます。仲間には親やってもらったり、兄弟になってもらったりしてます。そこでは摂食障害者であり、ACだっていうことが大事で、年齢とか社会的立場、環境なんて全く問題じゃないですよね。これからも仲間には助けてもらいたいし、一緒に成長していけたらって思います。
最後の宝物はね、っていうか、宝物になったらいいなっていう願望なんだけど、自分自身を好きになれたらいいなって思います。条件っきというか、ルールが好きだから、どうしても「こうでなきゃ」とか「こうしなきゃ」って自分を縛つてないと安心できないとこあるんですけど、それも今は仕方ないかなーって。ありのままって難しいですよね。でもいつか、いつか好きになれるかなっていう感じで、「今のところはこれでいつか」って思っています。
ということで、今日はこんなところで終わらせてもらいます。最後まで聞いてくれてありがとうございました。
摂食障害の妻と出会ってわかったとと――受け入れることの難しさ――
私(かず)がNABAを知ったのは、私の妻が摂食障害者であったことがきっかけです。そして本人たちの回復の手助けとして、周りの人間の理解が必要不可欠であることを知って、NABA応援団の一員になりました。はっきり言って以前の私は、人間はどんな親に育てられでも、ある程度大人になれば、勝手にいろいろなものごとを判断し、努力次第でいくらでも立派な、そして強い人間になることができて、そうならないのは単なる甘えであると考えていました。しかし彼女の症状や生育歴を聞いているうちに、自分とは全く違う環境で育った彼女の考え方ゃ、価値観、そして摂食障害という症状などに興味が高まっていき、そのうちその根底にある家族関係というものが、その人のその後の精神活動とか、あるいは行動に大きな影響を及ぼしていることに気づ
きました。
そうした視点で世の中を見てみますと、確かに家族というのはある意味では野放し状態で、この世の中で唯一安全な集合体であると、もうそれが前提になってしまっていること、そこに問題、があるように考えるようになりました。もちろん全ての家族が危険であるという意味ではなくて、危険な家族が存在するということにもっと注意を払うべきであると感じたのです。乙う言ってしまいますと、ずいぶん簡単にこのような考え方をするようになったと思われるかもしれませんが、実は彼女から症状の話を聞いてから、五、六年たつんじゃないかと思います。その聞には、まだ結婚する前ですが、いろいろと衝突もありました。今にして思えば、彼女の症状なんかに対して、ずいぶん無理な提案というかアドバイスをしていたんじゃないかと思います。ただ結婚してからは、今二年たつんですけど、この問題というかこういった話題について、彼女とはとことん話し合いをしてきました。現在、彼女は症状がなくて、もっと楽に生きるということを目指しているところなんですが、彼女が変わってきた背景というのには、やはり彼女にとって安全な場所というものが少しずつ広がってきたというか、彼女自身広げていったように思えることです。結婚当初は、結婚までに八年もつき合ったんですけど、それでもやっぱり私との関係に安全であるという感覚が持てなかったと言います。その時には、彼女の原家族、つまり実家ですね、これは今もそうなんですが、彼女にとって安全な場所ではなくて、その頃唯一、自助グループのミーティングだけが安全な場所であったと言います。それから私との問で、安全な場所の感覚が少しずつできてきて、いつの間にか昔と比べるとだいぶ生きやすくなったとき口います。
私が思いますに、安全な場所というのは、そのままの自分がそのままで受け入れてもらえる場所というとわかりやすいと思います。結局周りの人間は本人に対して何もできなくて、全くの無力であって、ただ自分が相手、つまり症状に苦しんでいる本人をそのままで受け入れてあげることしかできなくて、それが一番相手にとって大切なことだと思います。
受け入れるということで、最近感じたととがあるんですが、それは自分自身を受け入れるということが本当に難しいということです。私は今までずっと自分のことを受け入れていたつもりでした。というか、まあ自分のことが好きだったんです。もちろんああなりたい、こうなりたいという希望がたくさんありますが、最低でも今のままでもいいかという気持ちはあったんですが、それがこの一ヶ月あまり、ひどいアトピーに悩まされておりまして、昔からあったんですけど、前は服で隠せるところだったんですが、それが今回は首から顔まで症状が出てしまって、どうしても鏡に映る自分が許せないんですね。当然外出が嫌になるというか、できなくなりまして、三O歳目の前なんですけど、今閉じこもりを経験しているんです。人によって価値観というのは遣うでしょうが、嫌な自分というものを受け入れることがいかに大変かということを身をもって体験しているところなんです。
そんな時心の支えになるのは、やはりこんな自分でも大丈夫だよと見守ってくれる妻の存在だと感じたのです。こんな自分でも受け入れてもらっている、そう言い聞かせながら、少しずつ自分が自分自身を受け入れていく、この過程がとても大切で、これが回復の第一歩かなと感じています。こういった感覚を普通に得られるのが家族の基本ではないかと思います。
東京に「やどかり」という摂食障害者を持つ家族の会があるんですが、関西にこういうグループがないものですから、ぜひとも作りたいと思いまして、今準備しているところなんですけど、そんな中でたまにお子さんが摂食障害者で、その親御さんから「親は何をしたらいいのか」とか「どう接したらいいのか」ということを相談されることがあるんですが、前にも言いましたけど、周りの人聞は無力なんですね。自分の力で相手を変えようと思っても、無理だと思います。まずそれを自覚することから始まるんじゃないかと思います。
私のアトピーの話題の時にちょっと触れたんですが、嫌な自分を受け入れるというのはとても大変なことなんですね。人からどう見えていようと、自分が許せないものは許せないと思うんです。これは摂食障害者の本人たちも一緒じゃないかと思いまして、つまり本人たちは自分のことをどうしてもありのままでは許せないんだと思います。だから周りの人たちからの「そのままでいいんだよ」というメッセージがたくさん必要なんだと思います。それが自助グループだったり、一番いいのは家族からのメッセージだと思いますが、ただここで問題になってくるのは、親がいくら言葉で「そのままでいいんだよ」と言ったとしても、本心が実は「摂食障害じゃなかったらもっといいのに」とか「あんなんだったりこんなんだったらもっといいのに」とかいう気持ちが少しでもあると、それがそのまま相手に伝わってしまって、本人はやっぱり「私はそのままでは受け入れられていないんだ」と思ってしまうんじゃないかと思います。
あと実は親の方も自分自身を受け入れていないんじゃないかと思うんです。例えば、子供を摂食障害にしてしまった私はダメだとか、私自身ああだったら、こうだったらと自分自身を受け入れていない。ここに問題があるんじゃないかと思うんです。本来ならば配偶者の方から、つまり夫婦の聞でお互いをそのままでいいと認め合っているのが理想だと思うんですが、そうでない場合が多いようなので、例えば母親からすると、父親は仕事ばっかりで、家事とか家のことは私に任せっきりだと。父親の方は、自分は仕事をしているんだから、家のこととか子どもたちのことというのは母親に任せているんだといったふうに、責任を押しつけ合っているような気がするんですね。こういった関係の中に信頼関係というか、なかなかできにくいと思いますので、本人だけじゃなくて、家族の人たちも自助グループにつながって、そのままでいいんだよというメッセージをもらって自分自身を受け入れていく必要があると思います。
結局人聞は誰でも、自分自身を受け入れていないと生きにくいということになって、嫌な自分を受け入れるのには、周りの人間の協力がどうしても必要なのかなと思います。自分を受け入れることができるようになると、今度は自分を受け入れられないでいる人に、そのメッセージが初めて伝わるんじゃないかなと思います。ここで初めてそのメッセージをもらった本人たちが、今度は自分自身を受け入れていくということにつながっていくんだと思います。以上です。
(九七年八月収録)
三年後のめい
三年前の自分の文章を読んでみると、「懐かしいなー」と同時に、「私って変わったな」というのが実感です。三年前の私は、症状がなくなってたとはいえ、まだ「摂食の仲間」が必要だったんですね。かつて私の「摂食の仲間」だった人たちは、今では親友になり、お友達になりました。もう、「摂食の仲間」という間柄ではありません。また、現在の私には、摂食以外の仲間がたくさんいます。「仕事仲間」「遊び仲間」「主婦仲間」「お茶仲間」「趣味仲間」。そんな「摂食以外の仲間」を作ることができた自分が、とても誇らしいです。
だから、今は、自助の場に行くこともないし、行く必要も感じません。でも、私の原点は、NABAであり、自助です。安全な場を持たなかった私にとって、ミーティングや仲間は「家庭」であり、「家族」でした。ぬくぬくと心の芯まで暖かくなった時、私はようやく社会ヘ出て行くことができたのでした。だから、みんなも準備ができたら、社会ヘ飛び出して行こう!それで、外で傷ついたり、失敗したら、NABA(ミーティング)へ一戻つできたらいい。そんな情けない自分でいられるのが、本当の「家庭」だよね。というワケで、「家庭」での私はというと、「家庭って何をしても安心と思える場だよねー」とか理論を並べ立て、自由を満喫(勝手に自由と決めつけている)、病に伏す夫を横目に「行って来ます!」と遊びに精を出しているのです。夫よ、許しておくれ。話はそれましたが、現在の私は、アロマテラピーの学校運営の傍ら、摂食障害者を中心にセラピーやカウンセリングを提供しています。今は、セラピス卜とクライアントの関係ですが、かつては「摂食の仲間」だった人たちと日々、顔を付き合わせて、「あーだ、こーだ」とやっています。最後にNABAというゲリラ集団が、いつまでも摂食障害者のステキな「隠れ家」でありますようにと心からお祈りして……。
三年後のかずさん
久しぶりに自分の摂食障害という病気に対しての思いを読んでみて正直「我ながらええこと言っててんなー!(自画自賛こと思った反面、文卓早から当時のしんどき(アトピーが一番ひどい時期だったから)が伝わってきてなんか複雑な思いでいっぱいになりました。
あれから三年、いまだに病気療養中ということでコントロールの効かない自分の体と悪戦苦闘中ですが、ある意味では当時よりももっと病気(摂食障害)に対する理解が深くなっている気がします。「気に入らない」自分を受け入れるってホント難しいよね。
なーんて言う私を横目に、今ではすっかり人生を楽しんでいる妻が、今日も「この安心できるすばらしい、居心地の良い」家庭を放り出し遊びに出かけています。長年苦しんで苦しんでNABAにたどり着いた妻が、今ではこうしてお腹を抱えて笑ったり、毎日の生活を楽しんでいるという姿は、まあ、人聞こうも変われるものかと思う反面、その変化も実に頼もしいとも思えるのです。
現在自分はというと、療養を言い訳に、仕事は妻に任せっぱなしで、昨年CAP(子どもへの暴力防止)スペシャリストの資格を取った勢いで「ぼうしの会」という市民活動グループで幼稚園や小中学校の子どもたち、その保護者・教職員に向けてCAPのワークシヨップを行っています。
NABA(ももえ)より
めいちゃん、かずさん、近況ご報告までいただきありがとう。自助グループはともすると辛いことばかり分かち合うものと誤解されがちな中で、こうしたお二人のお話♥は、たくさんの方への希望のメッセージとなるでしょう。ただ私はNABAの仲間を「家族」「家庭」と思ったことはなく、家族や家庭とは全く別の、むしろそれ以上に御縁で結ぼれている人たちと思っています。また「隠れ家」や「ゲリラ集団」っていうのもねえ……。隠れているつもりもないし、ゲリラ活動しているつもりもありません。これは一人一人がNABAに期する思いがあり、その違いということでしょう。改めて、みんなにとってここはどんな場なのか尋ねてみたくなりました。
【ニューズ・レターNo.58:二OOO年 一O月】