玉川保健福祉センター・保健婦 遠藤厚子
こんにちは。保健婦の遠藤と申します。今回はどうしてもということで急に受けてしまったので、まだ何を話したらいいかよくわかりませんし、何が言えるのかな、とちょっと心配になっています。今日はまず保健婦という仕事がどういうものかということをちょっとお話した後で、自分自身がNABAの周辺にいて考えていることのお話をしたらいいかなと思っています。
保健婦というのは、どこの県にも町にも、多分村にも、絶対いる者だと思うんですけれども、ただ全ての保健婦が精神保健活動に関わっているわけではないというのが厳しいところです。私たちは精神保健活動の一環として依存症という病気につき合っているので、ご老人や赤ちゃんの相談を受けることを主としている保健婦には、ちょっと通じにくいのかもしれませんが、ぜひ皆さんの方から、保健婦の情報を集めてみて欲しいなと思います。行政の場にいる、相談する場所として、保健婦を使って欲しいと言いたいんですけれども、まだ相談を受ける機能として保健婦が十分に成熟しているとは私にも言い切れません。ただ少なくとも、どういうとごろに行ったら困っていることの相談を受けられるかということについて、保健婦は情報を持っていなければならないと思います。もし摂食障害について知らなかったら、こちらの方から教えてやるぐらいの気持ちで、まず連絡をとってみて下さい。
私個人としては、摂食障害、依存症、噌癖について、「知らない」で済ませるのは保健婦として怠慢ではないかと思っているものですから、ぜひ皆さんにもお願いしたいことです。自分自身のことで精一杯なのにと思われるかもしれませんが、どこでも相談できる場所を作る活動も、自分自身がいいかげんに生きるために、それから楽に生きるために必要な活動になるのかなと思っています。もしも摂食障害について知らない保健婦だとしても、少なくとも自分が苦しいんだということについての相談にはのってくれるはずです。誰かに相談しようと思うのは、かなり回復が進んでいると言えるかもしれませんけれども、誰に相談していいのかわからない時には、頭の隅に保健婦を覚えておいて欲しいなと思います。「相談を受けることを仕事にしている者にはわかるものか」とか、「公務員なんかにはやっぱり話せない」という人がいる反面、公務員だから安心して言えるという人も時々いらっしゃいます。
こう言つては何ですけれども、自分自身を信じていない摂食樟害の方が、同じ摂食障害を持った方に相談を持ちかけるのって、結構大変みたいですよね。まず信用していない自分と同じ病気の人のところにたどり着くまでに、足がかりというか捨て石でいいですから、保健婦に声をかけるというのは、ひょっとしたらちょっとの勇気でできるのではないでしょうか。そういう形で使ってもらって、そして回復している仲間と出会うということができたら、保健婦の仕事にも、もう少し広がりが出てくるのではと思っている次第です。
私自身は、仕事をしながら毎週ミーティングに出られる立場にありますので、自分のAC性に気づくとか、回復しようというふうにあがいていられるんですね。かなり恵まれている位置にいると思っています。でもやっぱり自分のことは職場の中だけでは振り返るのに無理がありますので、おかげさまで回復もせずに投げ出しもせずに、中途半端な今の状態が続いていると言うことができるかなと思います。これも、関係者の方が回復が遅い(※ー)ということの一例になっているのかもしれませんね。
今日、「NABAの周辺で」というテーマを無理矢理ひねり出したんですけれども、やっぱり私自身がどうしてもいつも「周辺にいる者」というふうに自分を自覚していると、改めて思いました。応援団に入ることについても、どうしても真ん中にはいられないな、という気持ちよりも、いつも自分は傍観者なんだなあというぼーっとした自覚と共に生きている時聞が多かったことに起因しているように思います。結構自分の生き方そのものと重なるものがあって、自分自身の問題を考えるということよりも、傍観者である自分の方を自覚して生きている方が楽だったということがあるのかなと思います。
何かあんまり自分が生きてなくっても、あがいている自分を端で見ている自分の方が冷静でいるから、そっちの方に気持ちを寄せるということで、あんまり熱っぽくなかったと思います。ただその熱っぽくないこと自体はそれほど苦しくはないんですね。苦しいとか自分が生きていないとは思えなくって、傍観者である自分の方が楽だというふうに今まで生きてきたのかなと、何だか今回のテーマを作った段階でやたらに反省的になってきています。
で、声も暗いですけども、基本的に考え方が暗いっていうのはわかつてはいるんですけれども、なかなか変わらないものですね。ただそれを変えようと思っているかともう一度考えると、あまり変えようとは積極的に思つてない自分に気がついたりします。とれが健康的じゃないと言われたらそれまでですけれども、今の自分でいいんだよって、積極的でなく思っています。積極的でなくっていうのは、もう「この自分が好きーつ」ていうのとは違うんですけれども、「これでもいつか」というぐらいの、わりとあきらめも含めて「もう今のでいいや」というのもありますね。ただこの「今のでいいや」って思えたのは、ミーティングに出るようになって、五年か六年たってからの気持ちですから、この仕事に就いたことがとても大きかったです。
そういうふうに思えた時に、NABAという会に出会ったわけですけれども、「もうひとりの自分」がNABAのメンバーになってるかなと時々思います。自分の気持ちというのも結構コロコロ変わってしまうところがあり、あまり意図的に選んだとは思いませんけれど「今これでいいんだ」という自分と、「いや、これもやらなくては、あれもやらなくては」と思っている自分っていうのは、ほとんど同時進行ぐらいでいたりしますよね。その時にどっちに転がるかっていうのは、本当に無意識ですね。そういう意味でNABAのメンバーに自分自身が見えてしまったり、とてもうらやましく思ったり、今自分が選んでこなかった自分を見てしまったりしています。だからこそ、NABAとか摂食障害について、他人ごとというふうに切っては考えられないところがあります。それで応援団に入ったところもあります。どちらかというとメンバーの方の積極性に引っ張り込まれてしまったということですね。
今、周辺にしかいないという自覚は、今の私にはほどほどのところだと思っていて、あまり自分が一生懸命にやってしまうと、それはイネイブリング(※2)になってしまうのではないか、知ったかぶりをしてやり過ぎちゃっていけないよねえっていう思いと、自分にはもうできないよねって思っているところがたくさんあって、できないと思いながらもこんなこと、メッセージを話すことまで引き受けてしまう頑張りをそのままNABAのメンバーに投影してしまうのがとても怖いです。まあこれも考え過ぎでしょうけど。
まずNABAのメンバーの元気、回復できるんだというイメージをNABAの皆さんが教えてくれたのは、とても大きいと思っています。だからこれは我々相談を受ける者としてだけではなく、これから回復の道を歩む人たちに、とてもとても大きな財産だし、とても嬉しいことだと思います。NABAのスタッフに、もしまだ会っていない人がいたら、ぜひ一度ミーティングで会って欲しいなと思います。そのためにスタッフの方も、いいかげんというよりは一生懸命やっちゃってるところはあるのかなーと思うんですけれども、どこかで会ってみることは、ものすごく大事なことになるのではないかと思います。
今NABAのスタッフがあちこちのミーティングにメッセージを届けに行ったり、フォーラムをやったり、いろいろな活動をしていますけれども、その活動を支える力、エネルギーっていうのは、まだまだ知らないで困っている人たちへ届いて欲しいという思いと、それからその活動自体が自分の回復につながるっていう両方の気持ちがあるんだろうなと思っています。私たちはそれを本当に端から見ているだけかもしれませんが、それでもスタッフやメンバーの人に「来てくれてありがとう」と言ってもらえると、何だかひょっとしたら私でも役に立ったのかしらっていう気がして、ついやり過ぎてしまう。嬉しくなっていろんなところに出かけて行ってしまうっていうのがありますから、多分みんな一緒だと思うんです。「ありがとう」とか「よく来たね」ってほめてもらえたりすると、嬉しくなってまた次も行こうっていうのは、スタッフもメンバーも私たちもみんな一緒なんですね。NABAはその点がとても居心地のよさというのを気をつけてやっているのかなーと思います。
ミーティングに行っても、どんな会に行っても、最後にハグをしてもらったり、握手をしてくれたりっていうのは、何だかとてもほっとすることなんですね。まだ私はハグには慣れてませんから、構えてますけど、構えている、硬直している私でも、とっても優しく抱いてくれます。こういうふうなことがごく普通に、今までできなかった方が変なのかもしれないなと思わせる、とても優しい魅力があると思います。
私たちは応援団とか専門職とか関係者とか、いろんな分かれ方をしてしまうんですけれども、でも気持ちは多分NABAの回復者としてのグループ、もしくはこれから回復しようとしている人たちへのメッセージを運ぶことの楽しさとか、そうですね、回復した人に出会う嬉しさというものに支えられて、続けていくのかなという気がしています。短すぎるかもしれませんけれども、今日はこれで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
(九七年一月収録)
【ニューズレターNo.45:一九九九年 九月】
※1…係者の方が回復が遅い:関係者は自分の問題に気づきにくい、という考えから、「本人、家族、関係者(医療援助職など)の順に回復する」といわれる。
※2…イネイブリンク:アルコール、薬物、ギャンブル、仕事などにのめりとんでいる人々を支えることで、依存症を維持、増悪させてしまうこと。