静岡 アケミ
NABAスタッフの皆様へ
日々、寒くなってきましたが、いかがお過ごしですか。
先日は静岡にメソセージを運んでいただいて、本当にありがとうございました。
いち摂食障害者として参加させてもらいました。
「母と娘の関係から考える」というテーマで、私自身そのことを含めて自分のことをすこし書かせて下さい。
私の父は、アルコール依存症です。母は、私が高校三年生の時に家を出ました。私とひとつ遠いの妹を引き取りました。私は家に残されました。一二年たって、私もあの時、連れていってもらいたかったと初めて泣くことができました。
離れることができなかった父と離れて三年以上になりました。父は私の職場の名前と電話番号しか知りません。私は黙って家を出ていきました。
母は、私がどんな仕事をしているのか知りません。母と離れて四年近くになります。
妹も私の職場の名前と、その電話番号しか知りません。連絡を断って二年半になります。
私はアルコール依存症の彼と一緒に生活をしています。彼の住む1DKのアパートに、スーツケースひとつで転がり込みました。
彼はお酒を飲まなくなって八年になります。
生活し始めて最初の頃は、私はミーティングにつながっていなかったので、いろいろありました。
ミーティングにつながって二年近くになります。最近、二人の生活が日々平安の中にあるなと思います。
先月、二人で二DKのアパートを借りました。トイレとお風呂が別にあって、お風呂にお湯を入れて入ることができます。嬉しいです。
私の母は家を出る時、男の人がいました。以前にも……そういえば私が小学生の頃、学校から帰ると、家に知らない男の人がいたことがありました。その時の母親は、とても嬉しそうな顔をしていました。私はとても嫌な気分になり、二階にかけ上がりました。小学生の時は嫌な気分になっただけでしたが、高校生の時は、母は女だったんだ、私にとって母親は母親でしかなかった存在なのに、実際は女だったんだということが分かってパニックでした。ショックでした。
その時の私は、私にとっての母がひとりの女性であるということは理解できませんでした。
私は母親が女になるならば死んで欲しいと思いました。私は母親の着ていたパジャマをはさみで切り刻みました。
母が家を出て行ってすぐに、私は学校の帰り道、偶然出会った伯母から、あんたのお母さんは万引きをしたんだと聞かされました。
家の恥、だから言いたくなかったけど、あんたは長女だから言っておくって。
私の母は万引きをしました。私が小学校四年生の時です。盗んだのは下着だったそうです。当時、社宅に住んでいたのですが、うわさはアパートじゅうに知れわたり、そこにいられなくなり引越ししました。離婚話も出たそうです。でも子どもが小さいからという理由で、離婚はしなかったそうです。
その話を聞かされた時、私は軽べつしました。その話を私にした伯母に対する怒りもあり、その時私は、人を信用しないとかたく心に決めました。
自分ひとりで生きていこうと誓いました。だから私はずっとひとりでした。
今やっと、あの時の母は万引きをすることでしか自分の思いを表現することができなかったんだろうなあと思えるようになりました。
万引きをする前にも、した後にも、母の本当の気持ちを聞いてくれる人は誰もいなかったんだろうなと思うと、つらかったろうなあと思います。
母は女になってしまったので、私は母を失いました。その空虚感、大きく胸にぽっかり空いてしまった穴を-つめるために、私は男性や食べ物に依存してきたんだと思います。
私はやさしくて暖かい、本当のお母さんを探し求めてきたのです。
私は昨日、ミーティングでこの話をしました。夜、仲間から電話があって二人で分かちあいをしました。仲間が気づかせてくれました。あの時、私のお母さん、死んじゃったんだ。私のお母さん、死んじゃったんだって。
そのあと私は、気分が落ち込みました。寝る前に、彼に言いました。
私のお母さん、死んじゃった。
私、本当のお母さんが欲しいって。
彼はお祈りしな、ステップやりなと言いました。
その時、ハイヤーパワーという言葉が出てきました。
彼は寝かしてくれえと言い、私は本当のお母さんてハイヤーパワーなのかなという思いをかかえて、シブシブ寝ました。
今日、朝、彼に「おまえ昨日、寝ながらキャハハハ笑ったぞ」と言われました(想像したらコワイ)。
私はハイヤーパワーという言葉に、男性的なイメージを感じていたので、今はそうなのかなあというところです。
長くなりましたが、これで終わります。たくさんの仲間の力を借りて、これを書くことができました。
ありがとうございました。
たくさんの仲間に感謝をこめて
アケミ
平成一O年 一一月三O日
PS.ニューズ・レターに載せて下さい。お願いします。
最後の一枚、レポート用紙でゴメンナサイ。
【ニューズ・レターNo.38:一九九九年 二月】