安心したら話したい

やじぶ

入院している仲間が、体重の増減だけに注意の向けられた治療に苦しんでいる話を聞くと、自分の無力さと、症状だけに注目しないNABAの見方に出会えた自分は、恵まれていると感じます。私は、症状、だけにとらわれない、NABAの考えを、あるクリニックで知りました。治療につながった初めのうちは、症状をなくして元の生活に戻りたかったので、症状の苦しさを訴えても話題にしてくれなかった時、当時かかっていたカウンセラーに不満を感じました。でも仲間と比較して、自分は吐かないし、中途半端に太ってて、と自分を責めがちでしたので、症状の回数、量の多さ、痩せ具合などの表面のことに、私のカウンセラーが関心を向けなくて良かったと、今では思っています。
ですから「体重が0キロになったら、外泊させよう」というようなことは、標準体重にならなければ、あなたを受け入れない、と言われているように感じます。そして元に戻ったら、もう大丈夫、退院なんて、悲しいです。心が辛いのに。

先生との約束が守れなくて、症状パリパリやってても見捨てないで下さい。言葉にできにくい思いを聴いて下さい。安心して自由に話せる雰囲気を感じさせて下さい。これがお願いです。

ここまで書くことに怯えています。怖かった。泣きながら書きました。

いい医療関係者に出会えても「もの申す」、自分はこうして欲しい、等の要求をすることは困難であることも、理解していただきたいです。
最近もカウンセリングルームの初回面接で、嫌な思いをしたのだけれど言えなかった。カウンセラーの質問に、よく答え過ぎました。初対面の人を信頼しろというほうが難しいはずなのに、一言われたことを行わないといけない気になっていった。四週間たったけど、やっぱり嫌です。怒りを伝えたい。

意見を尊重してくれそうな空気だったので、「もの申す」ができたことがありました。それは、ある摂食障害のグループで、イベントの企画をしていた時、医療スタッフの方が「どうしようかしら……」と煮詰まったようなので、「摂食障害者本人たちにも、やってもらったらどうか」と口を挟んでみました。それは私自身がNABAワークショップの企画ゃ、このニューズ・レターをはじめとする印刷ができること日(二年前の私には想像もつかない、すばらしく感動的なことです)が、大きな自信になったからです。口を挟んだ時は、私もできたのだから、皆もできるよ!と安易に思い付いただけなのが、実のところでした。医療側の答えは、一部の本人に世話役をさせたくないので、結局、医療スタッフ間ですすめる、ということになりました。

確かに、私たちは医療の支援を求めていますが、本人たちの力を信じて、まかせてもいいのでは……と、思った出来事でした。

【ニューズ・レターNo.31:一九九八年 七月】