福島 恵子
(九八年五月一四日)
NABAへ
あーっ!くやしい!!ちきしようー。てめーら何様のつもりだ!どーいうつもりで、自分の力で歩きだそうとする者のじゃまをする。何が気に入らない?勝手に場所から名前から決めたから?あなたがたを頼らなかったから?あなたがたの思い通りにならないから?あなたがたの思惑とずれてるから?目の届かないところで、活動するから?それにしても、ちょっとひどすぎない?
と思いきり、怒りのテンション上げて書きだしてみた。
私は福島お達者くらぶにかかわっている先生たちに、ものすごい怒りと悲しみを感じている(全員じゃないけど)。
この場を借りて、私のくやしさを聞いてほしいと思う。
五月の第三水曜日から「福島NABA」としてミーティングの場を設けることができた。その報告を五月九日、お達者ミーティングのあと、先生たちに報告することにしていた。これを決めるまでに私は私なりに考え、決断し、NABAや保健センターの方の協力により、まあ不安はあるけれど、場所だけあればなんとかなるさ、くらいの気持ちで、始めようと思っていた(がんばりすぎ、力の入りすぎは失敗をまねくというのは、今まで何度も味わってきたから)。とはいえ、人が集まらなかったら……期待をうら切ったら……考えだしたらキリがない……。それでも「やってみなくちやわからない」と思い直し、また、「たとえ閉じることになっても、それは失敗じゃなく経験だよ」と言ってくれた人に支えられて、五月二O日、第一回目を待つ、だけだった。会場を借りるためにいろんな人と接したこと、これだけでも大きな収穫だと思ったし。だけど五月九日報告後の先生たちの反応は、私の予想と大きくちがってた。確かに「あーそーですか」で終わってくれた先生もいたけれど、「場所借りただけでいい」と言ってくれた先生も、いた。が、しかしそれだけじゃなかった……。
「他の精神障害者が入りこんだときの対応はどーする」
「本人だけの自助グループは続かない。せっかく行ったのに連絡もとれなくなってるよーじゃ困る」とか……。もー思いだすだけで「くーーーっ!」となる。私は私なりに意見を言ったつもりだけど、何せ相手はいわゆる「りっぱな先生たち」。「はい、わかりました。もう、けつごうです」という先生の一言で私は用済みとなった。くやしかった。「摂食障害者に何ができる」っていう対応だった。少なくとも、私はそう感じた。「自分が後ろから守ってやらなくちゃ絶対に失敗する」と決めつけている。失敗って何ですか?続かないことですか?続かなくてもいいじゃないですか?まただれかが始めればいい。かき乱す人がでできたら……そしたら、そのとき考えればいいじゃないですか。そんな失敗するって決めつけて、何もやらなかったら何もかわらないし、何より今までの頭でっかちの時と同じじゃないですか。「思ったこと、考えていること、まず口に出して言ってみる。動いてみる」。やってみると、話してみると、なーんだと拍子抜けするほど簡単なことだったりする。それがNABAやお達者でわかることができた。、だからミーティングがとても必要だと思ってる。今の私はとりあえず過食という症状も自傷行為もない。でも考え方はまだまだストレートじゃないし、人間関係もスムーズじゃない……。もしかしたら私自身が福島NABAを支配し、コントロールしようとしてつぶれるかもしれない。だれかが恵子ちゃんとはやりたくないからと、別につくるかもしれない。それならそれでいいじゃないですか。回復のきっかけは、どこにころがっているかわからない。あんなふうに言われたら「意地でも続
けてやる」って思っちゃうし、もし困ったことがあっても「ほーれ」と思われるのがくやしいから、「意地でも相談したくなくなる」し、「がんばって下さい」には、「いいえ、がんばりません」としか言いようがない。
心配して下さるのは、ありがたいことです。ですが先生に言われるまでもなく「続かなかったら……」「ミーティングの流れがおかしくなったら……」そんな「もし~だったら」は、何回も何回も頭の中をぐるぐるまわっています。それでも私は私を語れる場を増やしたいと思いました。それだけです。それだけなのに、あんなふうに責められるとは思わなかった。別にほめられるとは思つてなかったけど、取り戻しかけた自信を打ちのめされるほど、ショックだった。悲しかった。まだ第一回目もはじまっていないのに、やめたくなっちゃったよ。チキショーだわ。いろんな感情がごちゃまぜになっていてぐちゃぐちゃだ。書いたのはいいけど、出すの恐いよー。
伝わるかなというより、後々のおたっしゃとのかかわりとか、反応とか考えちゃう。あいかわらずだ。でも何枚か書いたうちで、一番自分の気持ち書けてると思う。まとまってないけど、このまま出します。汚い字ですが、ワープロ清書、よろしくね。
あーしかし、こんなこと出していいのかなー、不安 ふあん 不安 フアン……。
えっ?まだ書き足りてない?そーかなー。
日を追うごとに
FAXより(五月 一一日)
NABAへ
いきなりですが、私おこってる。地元のミーティングの場をしきっている一部の人に(かなり遠まわし……)九日以来、怒りはしずまるどころか「くやしい」気持ちも相まって、頭はカッカッカッ。あの人たちの言葉、そのときの表情が日を追うごとに、ものすごくにくらしい……。
何がそんなにあの人たちの怒りをかったか……そんなのはどーでもいい。その部分は何となく予想していたから(だけど想像以上だった……)。私がおこっているのは、あの人の「わかりました、もうけつこう」って言われたこと。もう一人の「実験だから」という言葉……。
何がわかったの?聞き返せばよかった……。実験って何?私は、私たちは、あなたのモルモットでも人形でもない。感情をもった人間です。あーものすごくおこっているのに、文章・言葉にするとちょっとち、かつてくる。うまくいえない、書けない。
上手にまとめて、みんなにわかってもらいたい気持ちがでてくる。でも、頭が怒りで先走って、うまく表現できない。
あーもーくやしいーー。何でもやってみなくちやわからないじゃないかー。「もしーだったらどーする」。この頭でっかちだった私をミーティングで「まずやってみる」方向へ転換できた。だから私はやってみる。「ミーティングを閉じることになっても、失敗じゃない。経験だ」、そう言ってくれた言葉に(人たちに)支えられながら(→精神的に……ありがとう)やっていく。
今の私とその人たちとの関係は、まるで北風と太陽だ。
ぐちゃぐちゃの文で失礼しました。
怒りをとどめておきたくない
FAXより(五月 一一日)
NABAへ
たびたび、ごめんなさい。FAX用紙のムダ使いごめんなさい。でも、くやしくて。すぐに送りたくなってしまった。
チキショー、チキショー。ミーティングやりたかっただけなのに。場所決めて、名前決めて、日時決めて、それだけなのに、これのどこが気に入らない日学生の時に、先生に一方的にやりこめられたときのこととか一緒くたになって、イカリがとまらない。
考えすぎるからなのか?流せない。くやしさが、いろんなことをつぎつぎ思いださせる。泣けてくる。
こんな思いするとは、思わなかった。へっちゃらだと思った。九日、夕食たべて、笑いとばして、ちょこつとあとからぐちって終われると思ったのに。
ごめんなさい。自分の中だけにとどめておけなくて。ある仲間(←今はおたっしゃにきてない)から吋己がきた。「今度NABAが始まるってー。東京のNABAからだれかくるのかなー」、こーいう期待している人たちをうらぎってしまうとか、いろいろ考えだしちゃうよ。
いいーんだよね。場所つくった。それだけで。それにしても、あーーつだ。
もーおわりにする。
聞いて(読んで)くれる人たちに場所に感謝。
かかわってくださる方々へ、どーしても言っておきたいこと
FAXより(五月 一五日)
NABAへ
おはようございます。一四日の手紙に、足してほしいと思って書きます。どーしても一言っておきたいので……。
私(摂食障害者たち)にかかわってくださる方々へ
私は今まで人の心を読み取り、その期待に応えることが、私、だと信じていました。ですが、過食という症状がでてミーティングに参加したり、本を読んだりする中で、それは自分を生きていないことだと気付き、今それを変更中です。ですが、もうすでに何年もその方法でしかやってこなかったので、無意識のうちにもどっている(役目を行う)ことがあります。
ですからあなたがたの厚意、親切、親心のようなものはとてもありがたいのですが、ちょっと乱暴に自分からつき放すぐらい距離をおかないと、又いろんな顔色、声の出し方、うしろからの視線を読みとって、みんなの望むみんながよろこぶ、という「私」抜きの私をやってしまいます。それではいつまでたっても堂々めぐりです。「いろいろ守ってあげないと」というのはどーか私たちのためにならないんだということを、心にとめておいてほしいと思います。生意気なこと、充々承知のうえでおねがいします。
追伸:書きだしたら、ごきげんとりどころかますます怒りを買いそうな文になっちゃった。ですが今の気持ちです。一四日の手紙の文を冒頭に希望したのは、日付通りのFAX文より、まずあれを読んでもらいたかったからです。
【ニーズ・レターNo.30:一九九八年 六月】