生活保護とアディクシヨン

前・大田区福祉事務所 蒲田保健福祉センター 野口誠

私は、東京都大田区の福祉事務所の生活保護のケースワーカーをやっています。もう一二年ぐらいやってるんですが、今日はNABAの人たちに生活保護のお話をしていきたいと思います。生活保護は、別に医療やそういったものを支えるための制度ではありません。むしろ貧困、つまり貧しいということに対して、どうにもならない時に、国家が保障する、最低限の生活を保障する、そういう制度です。
だから例えば摂食障害であるとかアルコール依存症であるとか、そういった病気の病名で生活保護が適用になるとか適用しないとか、制度を利用するとか利用しないとかいったふうな考え方には立ちません。むしろその症状の強さとか、そういったものを総合的に考えていくもの、だと思います。
アルコール依存症について考えると一番、手っ取り早いんですが、そうですね、例えば癌の話をしましょうか。癌の人がいます。働ける能力はあり、今、働いてます。でもほんのちょっとしか働いてないのでお金はありません。この人は、生活保護が受けられるでしょうか。いろんな預貯金の調査とか、まあ貯金がいっぱいある人は生活保護が受けられないなんて当り前ですよね。そういうふうにいろんな調査があった上で、稼いでいるお金がほんのちょっとしかなかったら暮らしていけないから、その足りない分を生活保護費として出すわけです。彼は癌だけど働ける力があって、もっと働くごともできて、とすればその人は生活保護にならないでしょうか。癌という病名だから生活保護となるわけではないです。でもその方は今、入院して手術をするなり、放射線を当でなければ、将来悪化して死亡してしまうとか、病状が極端に悪化することが明らかならば、今働かないで入院をして治療に専念する、でその問、生活保護を適用するのは、これは逆に言うと当然なことです。
だから例えばアルコール依存症の人が飲んでいない時はしらふだし、だから働けるはずですよね。表向きそこの部分だけを取り出せば働けるんだけど、アルコール依存症の人が簡単に働いてはいけない場合はあるんです。それはお医者さんやセラピストなり、回復に向かう先行く仲間、この人たちの考え方がとても重要だと思柚つんです。で、働けばしばらくは働くけど、確実にスリップして、また病状が再燃してしまうのが明らかであるならば、今働けるように見えてもそれは働けないです。そこで、生活困窮が起こると生活保護の制度を使うことになるわけです。生活保護はこのように考えていきます。

さてじゃあNABAの人たちはどうなんでしょうか。NABAの人たちは一見とても健気で元気そうです。前向きな姿勢を見せたりすると思います。確かに働けるかもしれません。でも症状が強くて、今は治療に専念した方がいいと判断があれば、それはやはり働けないんですね。ただしそれはご本人が下す判断じゃなくて、やはり税金を使うものだから客観的な判断が必要です。そのためにはセラピストなり医者なりの判断、治療に専念した方がいいという判断があれば、生活保護を受けるとか、そういうふうに考えていけばいいと思います。
多分、自分自身のお気持ちだけでは片付かないところがあるんじゃないかなと思うんですね。
それとこれは生活保護に限らず、アディクションという病気の場合に、働きたいという思いの中に、不健康なプライドが入っている場合もあるので、そこでその不健康な。ブライドに振り因されて働き始めれば、あまりよくない状態もあるし、また多少なりとも、今日一日だけでも前向きに歩いていくということが必要な時に、それをしたくなくても歩いていくことが必要だし、その辺の判断も僕に言わせれば、セラピストなりお医者さんなり、それから先行く回復の道を行く仲間の助言が大切だと思います。自分でこういうふうに決めました、決めますというよりも、他の人に相談をしていろいろと検討した結果、こういうふうに決めますというのが、本当の在り方じゃないかなって思います。
人間って追い詰められると、どうしても自分の気持ちが先に立って、それで決めてっちゃうところがあります。でもこれはけつこうヤパイんじゃないかなと思っています。そもそも一生懸命考えているっていう時に、人聞は一生懸命考えていないんですよね。むしろそういう時は感情の嵐が起こっているんだと思います。嵐が起こっている時に、客観的に知的な判断つてなかなかできないもんですよね。だから一生懸命考えるのは、やめた方がいいかもしれないですよね。コンディション良く、リラックスして考えていくつて難しいですよね。まあ、自分の頭で足りなければ、やはり仲間の頭、あるいはセラピストの頭を借りて、助けて下さいつというふうに言って、で、その上で自己決定をしていくつていうのが大切だと思います。
こう話すと生活保護つてなかなか難しいと思われますが、必要だったら活用した方がいいと思います。治療に専念しないと病状がどんどんどんどんひどくなる、そういった時はやはり活用してもらいたいと思います。
お金はほんの微々たるお金でも、生活保護を適用されれば、なんとなく支えられているという気持ちも起こってくると思います。でも支えられているっていう気持ちが邪魔な人もいるわけだし、その辺、難しいとこですよね。

それと最後に、生活保護の制度でもそうなんですが、アディクションっておもしろいですよね。
だってある時は、自分の頭で考えて決めなさいというふうに言われたり、ある時は自分の頭を信用しないで、他の人の意見で決めなさいよと言われたり、どっちも本当ですよね。とっても矛盾に満ちたことが両方とも本当で、それがまるごとっていうのがアディクションの世界、だと思います。回復の本質はそんな矛盾を自分自身の体の中に取り込んでいくことなのかなって思うんですけど、皆さんはどう思うでしょうかね。
僕もひどい感情障害とひどい人間関係障害、人間関係噌癖の中で、皆さんと共に生きていけたらなと思います。それでは、さようなら。また。
(現所属:更正施設 塩崎荘)

【ニューズレターNo.30:一九九八年 六月】