かずお
摂食障害のかずおです。
現在、病気重症のため休業中で、生活保護を受けています。二四歳(一二月二六日なったばっか)・もちろん独身。結婚願望ゼロ、恋愛願望はよく分からん。
仲間との恋愛は危険かな?ちょっとパスかな?本当よく分かんない。あまり考えないようにしている。もっと大きな人生の目標を探索中、ちょっと見えつつあるかも知んない。どうでもいいですね、こんなこと。なら書くなって!すみません、文字稼ぎです。
もうちょっと簡単に、自己紹介。僕が摂食障害になったのは、大学一年の秋ごろ、六年くらい前かな。ダイエットがきっかけ→初めはうまくいっていたが、カロリー計算等、食べ物にとらわれる→同時に人間関係、友達付き合い、しゃ断していく→食べ物の世界に完全にはまる→ダイエット、減食のストレス爆発→過食幅吐ぼっ発、それからはよく覚えてないが、結構悲惨なもの。
そうだ、初めに書いておこうと思っていたのだが、俺は自己憐慨に浸っているわけではない。この文章を書くにあたって、そう言われるのが一番嫌だった。これを読んで「こんな奴もいる。私の方がいくらかマシかな」あるいは「私の方がもっともっと苦しいのよ、フザケンじゃないわよ!」と思う人いろいろだと思う。人はどうしても人と比較をしてしまうところがある。ただ、俺は自己憐聞に浸りながら、俺はこんなに不幸なんだ、同情してくれなんて思って、書いてるわけでは決してない。万が一にも、そう思われるのが一番ムカつく。
俺は半年くらい前から、閉じこもりから(足洗って→脱却して)ミーティング毎日通って(一日一二回くらい行ってた時もある)、人とたくさん話して、みんなにいろんな境遇があって、みんなそれぞれ苦しんでいるということを多少なりとも知ったつもりだ。
この文を書いたのは……えーっと、NABAに微力なりとも協力したいと思ったからかな。いい子しちゃってとか、無理しちゃってとか思われるかも知れないけど、そう思っちゃったんだから、仕方ないでしょ。協力精神おうせいなんだよ、オレは。文句ある?
話を元に一戻すと、いつだったかに母親に思い切って打ち明けた。それから医者に勇気を出して話した。それから診療内科、神経科、いくつかの病院をたらい回しにされた。その間で入院もさせられたし、わけ分かんない手術もされた。今、思えば、ふざけるなだね。大学は行けなくなり、四年の夏に中退。家に閉じこもり、母親に食料を買いに行かせ、食べて吐いて、テレビ見て寝るだけの生活が半年くらい続いた後、ついに家を追い出された。家は貧しく、仕送りほとんどナシ。おいおい、追い出しといて、そりゃないよ。仕方なくバイトを探す。今までいろいろバイト(引越、ファーストフード、家庭教師、塾講師……etc)の中で、一番楽だったコンビニ夜勤(そん時はそれしか出来なかったよね)を選んで、生活費(食べ吐き代含む)を稼ぐために毎日働き始めた。最初、急に体を動かしたから、体重は三八キロ(しんちょー一七四センチ)まで落ち、ぶっ倒れた。さすがに一時幅吐は止まり、仕事をたくさん覚えてチーフになった。月給は二O万前後だった。
コンビニだから食べる物には困らず、チーフということもあり、本シフトの夜勤八時間を含め、毎日一四1一五時間くらい働いてた(「手伝いまーす」とかも言ったりして)ワーカホリックだったね。お金は貯まった。お金に困ることはなかった。たまに遊びに行く時も金に糸目は全くつけず、物が欲しくなれば何でも買い、人にも平気でたくさんおごった。お金の価値観ゼロ。
現在はそのツケが回ってきたんだね。生活保護の受給額は、働いていた時の半分くらい。それ聞いた時は、お金の価値観・感覚失っていたから、よく分からなかったんだ。どーいうことになるか。
ただ、やっぱり、孤独、寂しさ、虚しさからだろう、症状はげしくぶり返して(もちろん止まっていたのはほんの一時で、すぐぶり返したんだよ。二応、仕事と症状と二年間、格闘したんだよ)。もうどうにも辛くなってて、仕事を辞めても、(お金が)生活費がもらえるんなら、お願いだから仕事辞めさせてって感じで、とうとう辞めた。
しかし、とんでもないことになった!!摂食障害(過食曜吐)を抱えた重病患者が生活保護だけで一人暮らしで生活するのは、ほとんど不可能ということに気付いた。
今まで働いてた一四ー一五時間の空白、夜勤の後遺症で眠れない時間のプラスペ遊ぶ友達が見つからない。すること見つからない。二二、二三時間食べ吐きonlyあとテレビや漫画くらいかな。だいいち、たまに友達と遊んだけどつまらない。
死んだ方がマシだったね。何度死のうと思ったことか、本気で。でもおく病で勇気が出せなかった。(とび降り自殺と場所までは決めたんだけれども)去年の一一月の初め、ちょこつと通っていた医者にミーティングに行くしかないよと言われ、わらをもすがる気持ちというより、そうすれば同じ悩みを持った友達ができて、孤独から解放され、何とか道が開けるかなと信じて、行ってみた。が、僕は男だったし、そうすぐには簡単にはいかなかった。だけど今回は頑張って行き続けた。
そして一ヶ月くらいして、やっと仲間ができたかなって思えた。それはとても心強いことで、心の支えができたようだつた。
僕はNABAにも行きたかったが、入会金三000円と会報講読代の年会費一万二000円、あわせて一万五000円なんて金、今のボクのどこをしぼればそんな金、出てくるのって感じだった。でも畳間の時聞を埋めたかったし、NABAにも本当に行きたかったから、その最初の一ヶ月、別のミーティングに行きながら、生活費、主に食費を節約して食費の節約は辛かったて一万五000円貯めて、ついに入会した。
NABAの人と生活保護受給者の入会金についてという話をしたが、あくまで僕個人が思っていることは、ただでさえ自分を低く落としめがちな僕達、自分はここにいていいのか(特にボクは男性だし)と思いがちな僕達だから、せめて入会金 はみんなと同じ額を払った方が、余計な負い目を作らなくていいんじゃないかと思う。それに生保受給者が最低の生活をしているとは、決して思つてないし、中には、もっと厳しい状況下で生活していってる仲間もいると思うから。こんなとこですね。
仲間がいるといいですよ。ミーティングに行けば、フエローシップで話をすれば、ゆっくりかも知れないけど、いろいろと何かが分かってきて、良い変化をしていけると思う。自分はそうだつた(か)なあ。
ちなみに、どうでもいいかも知んないと思うけど母はACを自覚して自立を目指し実家を出て、行方不明中。
残された父は、ちょっと前に退職もしてしまったけど、今なんとか一人でやってるみたい。
弟は、僕がこういう風にかぶったおかげで、超元気、活発にしてる。こんな感じだから(お金はもちろん、他にもほとんど何にも家族には期待してない)。
でも仲間ができたから、今は自分の明るく楽しい未来を信じてる。もうすぐ仕事も復帰するつもり。どーもでした。自立、目指すよ!
【ニューウ・レターNo.28:一九九八年 四月】