Ryoko
つい先月まではいろんなことに対してむかついて腹が立っていた。父親のこととか。今はいろんなことについてうんざりしていて、何をするにも億劫だ。
症状が消えてから二年ほどだろうか。症状が消えた分、生きててうんざりすることが増えた。父親にも母親にもうんざりするし。なぜ症状が消えたのかは、はっきりいってよくわからない。何となく、自分で働いて、親から仕送りを貰わなくなってからのような気もする。
それでもこだわりがとれないのは、パワーゲーム、それもお金のパワーゲームだ。いまだに私の中では、お金を稼がない奴はごくつぶしである。故にもちろん私もごくつぶしである。
そんなことはない」。そう、そんなことはないかもしれない。しかし私には信じられない、「ただ生きているだけでも価値がある」なんてことは。正直言って、誰かに信じさせて欲しい位なのだ。
私が親にもらい損ねたものは沢山あるが、まずは、失敗しても立ち直る強さである。よく、「挫折知らず」とかなんとか言われるが、とんでもない。失敗しても自分には立ち直るすべがないからがんばっただけだ。それもすげ1がんばらないといけないんだから。失敗の先には親の叱責(無一言の圧迫も含む)とその恐怖しかないとしたら、誰が失敗なんかできるかよ?今の私なんか、挫折続きで、もうボロボロだ。半分おこもり状態である。
次に、もっと大事なものだ。それは、「私の弁護士」である。「私の弁護士」とは、私自身のこと。つまり、「自分の感情・経験・希望」を自分で全力で守って弁護する権利が私にはあるということを、私の両親はすっかり忘れていたらしい(今は忘れていたことさえ忘れているが)。
お母さん、私が小学校三年の時、算数の塾に行くのをやめたいと言ったとき、どうしてやめさせてくれなかったんですか?あなたが代わりに行けば良かったんです。
いやなものはやめるんだ!他に何の理由があるというのだろうか?
今不自由しているのは、「喧嘩の仕方を知らない」ということだ。言いたいことを相手に伝えるのにはどうしたらいいか?感情を飲み込んでうわべは平穏な生活を送るのは簡単だ(お母さん、あなたはいつもそうしてきました。お父さん、あなたはそして楽をしてきましたね)。でも私はそういう風にうわべを取り繕わなくていい人間と結婚したんです。でも適当な喧嘩の仕方を知らないために、相手を意味もなく傷つけてしまう。なぜ私に喧嘩の仕方・仲直りの仕方を見せてくれなかったのですか?大学の卒業証書よりも人生では大切なことなのに。
症状を手放してからもいろんなことに目をつぶってきた。昨今で一番ショックで、認めたくなかったのは、父は自分以外のことにはあんまり興味がもてない人間らしいということだ。私は人間関係の中で温もって幸せを感じる人間だが、彼はそうではないらしい。父は自分と同じ興味を持っている人と、その興味を通じて関わるのが好きだが、それ以上その人自身と深く関わることはない。私や母や兄に対してもそうだつたと思う。父は本当はどうしたいのか、私にはわからないし、もう関係ない。
私はこれからは、自分と同じように、人の聞で温もるのが好きな人と関わって行こうと思う。それがこのうんざりする人生の中での唯一の慰めである。
【ニューズ・レターNo.15:一九九七年 三月】